2012年8月16日木曜日

6.9 根拠のない未来志向



若者は3年で会社を辞める。無気力、無関心、そうした指摘が数多くなされている。金融恐慌のさなか、「派遣切り」の名のもとに、大リストラを断行した大企業。20093月期の決算結果は、軒並み赤字。その対応として、工場閉鎖などの構造改革を断行。派遣にとどまらず、何万人もの正社員も解雇の憂き目にあった。その余波をうけたのは、何年も働いた社会人だけではない。内定をもらっていた大学生にも飛び火した。
新聞を見れば、減益過去最大、政治資金の無駄金、このままでは日本はどうなるのか。とにもかくにもネガティブワードの乱舞である。テレビ、新聞、雑誌、あらゆるメディア媒体が、これでもか、と危機を喧伝している。いつの間にか、世の人々の心に、未来には絶望しかないというような闇を植え付けてしまっているのではないだろうか。

3年ほど前になる。とあるセミナーで株式会社ヤッパの伊藤社長の講演を聞いたことがある。伊藤さんは若干17歳で起業した逸材である。当時高校生社長として話題となった。
私が講演を聴いたときで23歳の若者だった。起業して6年、様々な修羅場を潜ってきたことが話の節々から感じられた。そんな23歳の若者の口からでたリーダーシップ論は次の6つであるという。
一つ目はPressure makes Diamondsである。逆境は成長の糧。私も好きな言葉の一つだ。伊藤さん曰く、自分を常に律することなどできる人はいない。逆境に立たなければ、何も生み出されることはないということだ。
二つ目は、明確なビジョン、目的、そして敵を持つこと。ただし、ここで重要なのはビジョンや目的や敵を持つことなのではなく、「明確なもの」を持つことだという。そしてそれを相互理解することが重要だという。
三つ目はパッション。これはパッションを持ってとことん語り合うことをヤッパでは重視しているとのこと。時にいがみ合ってでも、お互いがぶつかり合うことが重要だと。明快であることは必要条件であり、それにパッションが伴ってこそ、相手に伝わる。パッションは十分条件といえるのかもしれない。
四つ目は常識にとらわれない吸引力だという。この説明に際して、伊藤さんは面白い例えをしておられた。例えばソックス。毎朝ソックスを履くときに、足は新たな繊維質に触れる。足の細胞ひとつひとつが、それを感知しているはずである。にもかかわらず、数分後には、ソックスを履いていることすら忘れてしまう。
同じようにフランスのとある街並み。石畳の道路に感動する。芸術作品のようなドアノブに感動する。通りすがりのフランス人にその感動を伝えても、理解はしてもらえない。フランス人にとって、道路とは石畳でてきているものなのだ。フランス人にとって、ドアノブとは彫刻のような芸術作品のつくりなのだ。
人は知らず知らずのうちに、常識という枠組みを作ってしまっている。無意識のうちに周りの95%の環境を、ある種の常識として、知覚しないようにしている。逆にそうしなければ、毎日を生きていくことは刺激が多すぎる。
朝起きてから夜風呂に入るまで、ソックスを履いていることに違和感を覚え続ければ、ろくに仕事に集中できなくなる恐れがある。あらゆることが刺激の連続となってしまっては、赤ん坊と同じ状態となる。
何事にも吸引力を持って臨む必要がある。そうすることで、物事の見えなかった側面に気付くことが可能となるからだ。一日一度は履いているソックスのことを思い出してみるのも面白い。
五つ目は勘であり運であり根(コン)である。運が良い人は、実は勘が良い。勘が良い人は、実は日ごろから根気良く、何事にも諦めずに挑戦し続けている。だから人からみると勘が偶発的に働いたように見える。人から見ると、その機会を運良くつかんだように見える。しかし、粘り強く、根気良く何事にも望んでいたからこそ、その運はやってくる。
最後の六つ目は、根拠の無い自信だという。強いリーダーシップを発揮する人は、根拠の無い自信や信念のようなもので人を引っ張っていく。その根底には終わるまで何もわからない、そういう思想がある。そして根拠がないからその自信はそうそう崩れない。諦めることがない。

 
先日「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画を見た。2005年の映画で、監督は山崎貴さん、主演は吉岡秀隆さん、堤真一さんで高度経済成長下の1958年の東京の下町を舞台にした映画だ。東京タワーはまだ建造中という段階だ。どの家にもテレビがあるわけではない。全自動洗濯機もあるわけではない。車も持っていない人のほうが多かった時代。でも、人々の目は輝き、未来には希望しかなかった。そんな時代を描いた映画だ。その時代、21世紀は車が空を飛んでいると子供たちは本気で信じていた。
その映画の一節で、脳天を勝ち割られるような心洗われる場面がある。堤真一さん演じるスズキオート社長の鈴木さんが、ボロボロの三輪オートを運転しながら、こう言うのである。

「東京タワーができたら、世界一の高さになるんだっ。俺はこのスズキオートをゆくゆくは、アジア、いや世界に展開するんだ。そうなる。その自信がある」

ちなみにこのときスズキオートという会社は、木造2階建ての自宅兼事務所の1階で、車の修理を専門に請け負っているとても小さな会社だ。社員は10代の女性が一人という状態だ。
この気持ちを一言で表すならば、「根拠のない未来志向」である。根拠がなくってなにがいけない。ただただ、未来に希望を持って生きること。それこそが最も大事なことであり、最も大事にするべきことでもある。

そして今、日本の若者たちにとって、最も欠けていることなのかもしれない。いや、若者たちに限らず、30代、40代、50代、そして団塊の世代の60代すべての世代でそれは言えるのかもしれない。
一人でできることはたかが知れている。しかし百人、千人が集まればそれはうねりとなって、とてつもなく大きな力となる。日本には強い会社がたくさん存在する。日本は優秀な人材の宝庫である。ただ、それをうまく生かしきれていない人がいる。効率化されていない会社がある。本来持つポテンシャルは現状の2倍も3倍も大きいものなのではないだろうか。

もっとこの国は発展していくことができる。その大きな力を引き出すために、まず必要なのは、コミュニケーションである。それぞれの人にはそれぞれの円がある。それぞれの会社にはそれぞれの円がある。それぞれの国にはそれぞれの円がある。円と円の重なりを見つけよう。重なり合っていない部分を察知しよう。重なり合わない違いがあることを感じ取ろう。

違いを理解したうえで、どう伝えればよいのだろうか。人は人の話を聞きたいように聞く。人は人の資料を読みたいように読む。なぜそうなってしまうのか。お互いの違いを理解するために、聞いてくれる相手のハシゴを下に降りていこう。どういう分析を相手はしているのか。どういう情報を相手は選んだのか。そもそもどういう情報を相手は持っているのか。それぞれの段階で大きな違いがあることを発見できるだろう。ただ違いがあることに愕然とする必要はない。むしろ、違いがあることを共有できたことは伝わるための第一歩なのだ。

伝えたつもりが伝わらない。なぜ度々そういう場面に出くわすのだろうか。そういう場合は、聞いてくれる相手にとっての、インセンティブを考え抜くことからはじめよう。決して分析をもっとすごいものにする必要はない。決して資料の論理展開を完璧にしあげる必要はない。決してプレゼンテーションをもっとすばらしい言葉に代える必要はない。”Walk the talk”。ただその人に会いに行くのだ。その人と、とことん話し合うだけでよいのだ。

そもそも共通認識ができているのだろうか。誰もがいまさら言えないことを、言う必要があるときがある。共通認識のずれは、後に大きな違いを産んでしまう。共通認識が完全に同じになる必要はない。どれほどの違いがあるのかということを把握していれば良いのだ。

読書を通して、作者の魂の言葉を削り取っていく。様々な人との対話から生きた言葉を奪っていく。そうしたものを模倣することで、自らの考えと発言に深みを加えていく。ウェブ脳へとシフトしながら、様々なことがらを五月雨式に発想していき、言おうとすること、やろうとすることを想いに想い、考えに考える。時には言葉に出来ないもどかしさを心地よさとして受け止め、また想いに想い、考えに考えていく。

失敗を受け入れる。どの程度失敗するものなのかということを、事前に把握しておく。他を諦めることで、初めて挑戦できるものがある。解決しようとすることには答えがない。答えがないまま歩き続けるという気持ち悪さをコントロールすることも必要だ。1歳年齢が違えば、価値観や考え方はまったく違う。同世代でもそうしたことは度々起こるだろう。ウェブを通して、考えを発信しあい、むやみな批評をすることなく、より良い未来を力を合わせて作り出していく。そういう心持で人と接していこう。

世界を旅する。様々な国を訪れ、様々な人と出会い、多様な価値観や生活レベルが存在することに気付こう。自分は何をする者なのか。自分の存在意義とは何なのか。時には無駄に思える時期もあるだろう。何も成長していないと思えるときもあるだろう。それでもいいのだ。そうしたときにも、必ず進化しているところがある。それに気がついていないだけだ。

長渕剛さんの歌に“Captain of the Ship”というものがある。生きるということを激烈に歌った13分にも及ぶ大作だ。その歌の一節に次のような歌詞がある。
「明日からお前が舵を取れ 生きる意味を探しに行こう 馬鹿馬鹿しい幻に惑わされる事なく ただただ前へ突き進めばいい 今すぐ 白い帆を高く上げ」

 組織に属してしまうと、そこに埋没してしまいがちなときがある。今、自分は本当の意味で舵を握っていることはあるだろうか。舵を握れと言われることを待っていたりはしないだろうか。結果は後からついてくる。根拠がなくても良い。未来志向で生きていこう。誰もが必死に生きていく中で、言葉にはできないものの気付いているはずだ。本書で述べたような思考の転換が必要だということを。
すべての人には未来を切り開く力がある。未来をより良くできる可能性がある。私はその可能性に目がくらむ。今、思考を転換しよう。未来を切り開くために。

2009年3月 小林慎和 都内某所のカフェにて

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6.8 色褪せないものを探し続ける旅



以前ジャズトロンボニストのクリス・ウッシュボーンの演奏を聴く機会があった。彼はニューヨークなどのジャズバーでパフォーマンスを提供するかたわら、コロンビア大学のアシスタントプロフェッサーとしても教鞭を振るっている。
彼はミクロネシアなどの島国やカリビアン諸島など世界中をめぐり、これまで人類が作り出してきた様々な楽器の研究を行っている。

ジャズというものは2回と同じパフォーマンスはない。トロンボーン、トランペット、ピアノ、コントラバスなど各パフォーマーのその日のコンディションや気持ちによって、パフォーマンスは微妙に変化してくるそうだ。
私はクリスに次のような質問をぶつけてみた。ジャズというものは2度と同じパフォーマンスがないことは理解できる。しかし、その微妙に変わり行くパフォーマンスは、すべてクリスの感性が追い求めた結果だと思う。では、パフォーマンスや音というものに対する嗜好というものは、後天的なものなのだろうか。それとも先天的なものなのだろうか。DNAレベルで、身体が反応する音というものが存在して、クリスが日々パフォーマンスをすることによって、探しているものはそういう音なのだろうか。もし、今日のパフォーマンスを生まれたばかりのころのクリスが聞けば、DNAレベルでそのパフォーマンスをすばらしいと思うだろうかと。

クリスの答えはシンプルにYESだった。

「音楽というものはDNAに訴えかけるものだと私は考えている。なぜなら、私は世界中の国々や島々をめぐって1つ共通点を発見した。それは、どのような偏狭の島であれ、どのように少数の民族であれ、そこには必ず音楽があった。楽器があった。音があった。すべての民族は、おのおのがDNAレベルで感じる音を追い求めた結果として、それぞれの民族で楽器を編み出したのではないか。そう思えてならない。だから私はステージに立つ度にいつも追い求めている。私のDNAが反応する音を」

私も小さいころ少しばかりピアノをかじっていた。たいしてうまいわけでもないのに、練習する曲にはある種こだわりがあった。自分の感性が反応しないと弾く気にならなかったことを覚えている。
ジャズや音楽、さらには演劇などのパフォーマンスをファンに向かって提供するプロフェッショナルの場合、どうなれば成功といえるのだろうか。見に来てくれた観客の数か。見に来てくれた観客の反応か。自分なりの納得できたパフォーマンスか。それとも自分のDNAが反応したときか。
ある一定以上、客足が伸びる段階においては、自分の成長度合いや成功度合いというのはなかなかにわかりにくいものなのではないかと思う。本物の音楽というものは、色褪せない。数百年の後にも、人の心に響く旋律というものが存在する。ただこうした色褪せないものは、なかなかに定量評価しにくいものだ。極めれば極めるほど、自分がどう進化したのかがわかりづらくなる。こういうプロフェッショナルの場合、「できることを非常にうまくやる」ことこそがプロフェッショナルの真髄ではないだろうか。

皆さんは働いている中で、次のようなことを考えて悶々とした日々を送っている人はいないだろうか。現在の仕事が非常につまらなく思えてしまう。良く言えば、できない仕事がなくなったように感じている。悪く言えば、やりたい仕事をこの会社では手に出来ないように感じている。この会社にこのまま身をおいていていいのだろうかと感じている。この仕事にはいったい価値があるのだろうかと感じている。今自分は成長しているのだろうかと感じている。
こんなことを感じているのは、なにもあなただけじゃない。すべての人が少なからずこうしたことは感じている。

そういうときは二つの思考の転換が必要ではないだろうか。一つは、自らの成長度合いというものを改めて見つけようと努力してみることだ。ある程度仕事ができるようになったとき、自分の成長は止まってしまったのではないかと考えてしまうときがある。今の仕事はもはや自分を成長させなくなったのではないかと、思ってしまうときがある。
そんなときにも、必ずどこかに自分を進化させていってくれている要素があるはずだ。進み具合がわかりづらい物の中にも、進化しているものはある。成長が止まったから現在の心境にあるわけではなく、成長したからこそ、そうした変化がわかりづらい局面にまで達することができたと思うべきだ。できる仕事をうまくやることには、大きな付加価値があるのだ。
二つ目は、自分自身を成長させることが何も自分の成長に繋がるわけではないということだ。自分に関わる人すべてを成長させることにフォーカスを移すタイミングなのかもしれない。人として、人を喜ばすことができることほどすばらしいことはない。マーケティングスキルやファイナンススキルなど自分の内面のスキルを磨くばかりが自分の成長に繋がるわけではない。

感情労働という言葉がある。肉体労働は、時間当たりの肉体運動を付加価値とするビジネスだ。それに対して、感情労働とは、ある時間の間、ある感情にいることが付加価値となるビジネスがそれにあたる。

例えばコールセンターのオペレーターだ。お客様窓口として電話番号を公開しているサービスや製品は少なくない。そうしたところにかかってくる電話の内容は、何も製品の使い方や、サービスの営業時間などの問い合わせばかりではない。ただひたすらにクレームを怒鳴りつけるようなそういう消費者も中にはいる。その場合に求められる感情労働は、そうしたクレーマーと化した消費者が落ち着くまでの聞き役であり、謝り役なのだ。

他の例では、看護師もこうした感情労働にあたるだろう。看護師の場合、夜勤などもあるため、肉体感情労働と呼ぶべきかもしれない。入院患者の中には、それほど深刻な状況というわけでもないのに、度々ナースコールのボタンを押して看護師を呼びつけるような人もいる。対応が遅ければ、いったいこの病院の方針はどうなっているのだと医者を呼びつけるような例もあるだろう。

こうした仕事の場合、そうした役回りでいることに非常に大きな価値があるのだ。ある種自分の本来の人格とは切り離して振舞うような場合があっても良いかもしれない。世界中の何者にも代替されることはない。その時に、その場所にいることに非常に大きな意味がある。その時にその場所にいるからこそ、周りの人に喜びを与えることが可能となる。
営業成績の受注額や製品の販売台数という定量的でわかり易い指標で自らの成長度合いを測ることも一つの方法ではある。受注額に対して、生産性を挙げて利益率を上げることにも大きな喜びはあるだろう。そうしたものを追求する時期があってもそれは非常に良いことだ。
ただ、成長というものがそうしたわかり易い指標を用いて、測ることができない場合も多い。
そうしたときには、定量評価が不可能でも良い。進む具合が見えにくいものでもいい。自らの個別・固有な感性を拠りどころにすることで、初めて成立するような特徴を持つ仕事を見つけ出すことに注力してみることだ。必ずあるはずだ。それはそうやすやすとは色褪せないもののはずだ。

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6.7 何もない場所を知る



以前インドのプネーという都市を訪れたことがある。そこはソフトウェアのオフショア開発先として、インドでも指折りの都市だ。街中には規模は小さいものの、何百というソフトウェア会社が乱立している。そこでは欧米から受託したソフトウェアの開発が日々行われている。
そうした会社のひとつでソフトブリッジソリューションズという会社で非常に印象深い人に出会った。その会社の研修センター長であるシュレップさんという方だ。当時34歳の女性で、一児の母だ。
彼女は1994年から2004年まで日本のあるソフト会社に勤務していた。日本に滞在中に、日本でインド人と知り合い結婚した。2001年に日本で子供を産んだ。
彼女は子供が3歳になるタイミングでインドに戻ることを密かに決心していた。それはなぜか。彼女が言うには、日本はあまりにも豊か過ぎるというのである。停電することはない。最新の電化製品が安く買える。夜中でもふと食べ物が欲しいと思えば、5分も歩けばコンビニエンスストアに辿り着くことができる。日本の教育現場は、平等ばかりが先にたち、子供たちの生き抜くための意欲を削ぐことしかしていないように見える。
それに対して、インドはインフラがまだ整っていない。道路も整備されていない地域が大半だ。毎日のように停電する。インドの子供たちは、すべて明日のために必死になってがんばっている。インドの大人たちもそうだ。インドの教育制度も魅力的だ。子供は切磋琢磨して成長することが重要だ。日本にもインターナショナルスクールはあるが、そこでの教育は中途半端なものが多い。
日本のようにあらゆるものが、いつでも揃うような環境で育てた場合、そうした子供はインドではやっていけない。しかし、インドでやっていけるならば、世界のどこであれ通用するはずだ。だから敢えて物心がつく前のタイミング。3歳になるタイミングでインドに帰国しよう。そう決心したそうである。

私はその話を聞いて、身体の中を流れる血が熱くなるのを感じだ。インドの人口は現在11億3000万人ほどいる(2008年インド政府公表値)。そして驚くことに、1年齢の人口、つまり例えば現在20歳の人口が3000万人ほどいる(国際連合の統計より試算)。日本の30倍である。
そうしたインドの若者が、パッションを持って必死に這い上がろうとしている。インドの場合、3000万人の中から大学へ入学できるのはわずかに1%強の40万人だけだ。競争に競争を重ねて生き抜いてくる。サバイバルしていくのだ。

私は大学時代バックパッカーとして、アジアを始めとする30カ国程度の国を歩き回った。インドのデリーでは1泊500円ほどの、今考えるとよくそんなところに泊まったなと思えるような場所を転々としてきた。
私は帰国子女でもなければ、海外で長期間暮らした経験もない。それでも立ち寄ったレストランやバーで、地元の人たちに果敢に話しかけてきた。その国のことを尋ねるのだ。現地の言葉でなくてもいい。英語でいい。時には日本語でもいい。筆談でもいい。同じ人間だ。話は意外に通じるものだ。ただ2つ、現地の言葉で覚えておくべきものがある。「こんにちは」と「ありがとう」だ。そうすると、彼ら彼女らも日本のことを私に聞き始める。興味を覚え始めるのだ。円が重なり始める瞬間だ。

私はここでひとつ提言したい。日本の義務教育の中に1年間、インドなどのような発展途上国で過ごす教育プログラムを追加してはどうだろうか。中学校を4年生に変更して、中学2年生14歳くらいのときに1年間発展途上国に留学させる。電気も水道も整っていないようなところで必死になってがんばっている同世代の世界の子供たちと切磋琢磨させるのだ。
そこでの1年間の体験は、異文化の人間、異国の人間とのコミュニケーションをどのように図っていくのか。グローバリゼーションの中で、最も必要となるスキルの存在に気付くことができる。
何もない場所を知る。何もない場所に身を置き、それを体感する。打開しなければならないと心揺さぶられるものを見たとき、人は自然と行動を起こすと思う。

 すぐに実行可能な代替案もある。中学の3年間でNHKが製作したプロジェクトXを全話観賞するカリキュラムを取り入れるのだ。13時間の授業がいいだろう。最初の1時間で鑑賞し、続いて1時間クラス全員で議論するのだ。何が問題だったのか。何に感動したのか。自分が同じ立場になれば、どうするのか。徹底的に議論し合う。そして最後の1時間で、自分が感じたことやクラスで議論したことを原稿用紙にまとめるのだ。プロジェクトXには、何もない場所に身を置き、這い上がってきた日本人の英雄たちがいる。様々な業界、職業の現場に触れることができる。
 子供たちは、「がんばる」ための活力を手に入れる。がんばった先にある「希望」を見ることができる。様々な職業の現場を知ることで、将来つきたい「仕事」のことを考える幅が広がる。何もない時代があったことを知る。
 ゆとり教育から転換して、数時間授業を増やすくらいなら、このカリキュラムを取り入れてはどうだろうか。10年続ければ1000万人の若者全員が、かつて何もない時代から這い上がってきたすばらしい日本人の先輩たちの努力と成功を知るのである。それだけでも、未来の日本に光明が射してきそうな気がしてならない。

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6.6 30年後の日本の形



「生まれてから一度だって日本がすごい国だなんて思ったことありませんよ。いつもダメダメでした。」
 これは現在23歳のある若者の発言だ。日本ほどこの何十年かの間で、世界的な地位が大きく変動した国はないのではないだろうか。
 皆さんはいつから新聞を読み始めただろうか。テレビ欄ではなく、社会面や経済面や国際面である。私の場合、18歳ころからだと思う。物心がつく年齢は、5歳だとか遅くても8歳だとかそういう年齢になるだろう。ただ、社会や経済との繋がりを意識するのは、だいたい大学に入学するころではないだろうか。
 ここではその境目を18歳と仮に置く。とすると、18歳以降にインプットする情報というものが、その国やその国で生きる人々の形として心に根づいて行く。それは第一印象とも表現できるかもしれない。

 私が18歳になった1993年は、OECDの1人あたりGDPランキングで日本が世界首位となった年だ。バブル崩壊後、私の中ではにわかに世間が騒がしくなり、経済が大変なことになるという漠然とした危機感を感じていたときだ。それにもかかわらず、この年に日本は世界ランキングで1位となる。
バブルの仕組みを理解しているわけではなかった。経済や政治についてもようやく関心を持ち始めた程度の学生の時だ。新聞やテレビでは毎日のように、経済の危機だと喧伝している割には、日本もなかなかやるなと思ったのが、私の日本という国に対しての第一印象だったのかもしれない。
 そこから2001年まで、だいたい毎年5位以内を推移する。失われた10年と後に言われた時代でありながら、国際的な位置づけが、経済の流れとは逆行するかのうように高水準を維持していた。
しかしながら、2002年のITバブル崩壊以降、日本は滑落の道をたどる。2007年には為替レート換算で19位にまで落ち込んでしまう。これは1975年よりも低位だ。私からすると、日本という国は、頂点から坂道を下り落ちて行っている。それが私が持つ日本という国の形だ。

 冒頭の言葉は1985年に生まれた若者の言葉だ。彼ら彼女らからすると、この1人あたりGDPランキング一つとっても、国の形というものに対する第一印象がまったく異なることがわかる。18歳になる2003年にランキング10位だったものが、わずか4年の間に19位にまで落ちていくのだ。だからこそ、冒頭の言葉が出てくるのだ。生まれてから一度だって日本がすごい国だなんて思ったことがないと。

 世代が上がるとまた違った日本の形が見えてくる。例えば、1970年に18歳を迎えた世代をイメージしてみよう。彼ら彼女らは1952年生まれで現在56歳だ。1970年当時では、1人あたりGDPは20位を下回る。それが1975年には16位となり、33歳の1986年にはとうとう一桁に突入する。
そして時代はバブルを迎える。1人あたりGDPランキングで日本が世界一となる1993年は41歳だ。バブル崩壊を経験はしているものの、日本の大企業に勤めているならば、部長になってもおかしくない年齢だろう。この世代にとって、日本という国は、自分と共に成長した頼もしいパートナーと写っていたことだと思う。それから15年。確かに国の勢いはなくなったかもしれない。それでも過去の栄光を懐かしむには十分な年齢だろう。

 この日本という国に対して持つ印象が世代によってこうも違うのならば、そのボリューム、つまりは人口を確認しておいても良さそうだ。①1965年生まれ以前「日本の成長を知っており、自らも成功体験を持つ世代」。②1966年~1984年生まれ「日本が滑落していくことを第一印象として持った世代」。③1985年生まれ以降「日本はいつもダメダメでしたと感じている世代」。
①は約7000万人で、②は約3200万人で、③は約2500万人となる。誤解を恐れずに言うならば、①の世代は今の行き方で残りの人生をどうにか逃げ切ることができる。年金問題も懸念の種ではあるだろう。それでも、年金の存在すら危ぶまれている②や③の世代からすれば、現在の生き方でどうにかゴールできるのではないだろうか。
 

 資源も土地も人材も少ないシンガポールは、世界中から金融資産と会社と人を集める仕組みを整えつつある。法人税率の引き下げによる企業ヘッドクォーターの誘致やそれを支える24時間稼動可能なハブ空港の整備。法外な給与をオファーすることで、世界中のあらゆる分野のトップ人材を自国の研究機関へ招聘している。人材立国を目指した強かな戦略がそこにはある。
 日本の人口は確実に減少していく。為替や株価の予測。マーケットのポテンシャル推計。日々様々な予測数値が世の中を飛び交う。そうした予測値のほとんどは当たらない。予測に影響を及ぼす要因があまり多く複雑に絡み合っているためだ。
その中で人口推計は最もあたる予測のひとつである。これからの人口減少から現在の年金が破綻するのは明らかなのだ。
 何十年も前にくみ上げられた仕組みに固執する必要はない。いかにすばらしいものであったにせよ、これからの未来を見据えてもう一度最適な形に組みなおす必要がある。

 「この国を作り変えよう」(冨山和彦、松本大著)で非常に面白いアイデアが提言されている。20代の政治家、官僚、民間人による30年後の日本を考えて活動する組織「未来の内閣」というものだ。
 こうした組織が組みあがったとき、彼ら彼女らが考えることは、もう一度過去の影響を取り戻すことではない。彼ら彼女らにとって、世界に打って出ることは新たなスタートなのだ。かつて、1人あたりGDPランキングで1位となった国の形という面影はない。改めて、そして初めて、日本という国を世界の中で存在感のある、より良い国にしていこうという意欲だけなのだ。

 元気のある若者は数多く存在する。例えば、音力発電の代表取締役の速水 浩平さんだ。現在まだ26才だが、大学時代に次のような技術を開発した。音や振動を電気に変換するというものだ。高速道路の壁一面にこの装置をつければ、車が通る度に電力が蓄えられていく。高速道路の街頭の電力をそれで賄うことも可能だ。エコな世の中が求められている中で、これほど将来の発展が楽しみな技術はない。
 マザーハウスの代表山口絵理子さんも力強い事業を展開しておられる。バングラディッシュの紡績工場と提携して、途上国発の鞄ブランドを立ち上げようとしている。学生時代にバングラディッシュを旅して、失業率が40%を超える国の惨状を目の当たりにして始めた事業だという。
 日本の政治が、問題がある度にパッチワークをあてる対策を講じている間に、元気な20代が数多く現れ始めている。大企業という大きな組織に守られながら世界で大きな事業を展開しようとするのではなく、小さな小回りの効く集団として世界と戦っていく。ブランドを拠りどころとするのではなく、自らが何を成し遂げようとしているのかという、本質で勝負していく。未来を支えるのは紛れもなく若い世代だ。私もこうした世代に刺激されながら、30年後の日本という形を考えていきたい。

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6.5 ジェネレーションバレー



ジェネレーションギャップという言葉は聞いたことがあるだろう。世代間で意識や常識、そして言葉などの違いを表したものだ。1995年以降、ウェブの急速な普及によって、世代間に跨る差は、ギャップなどという生易しいものではなくなったのではないだろうか。そこには深い谷、バレーが存在する。
昔なら10年で一人前。そういう認識が、ある種常識的な捉え方だったのではないだろうか。10年働いて、ようやく会社のことが見えてくる。ようやく業界のことが見えてくる。ようやく独り立ちできる。
しかし、21世紀以降に働き始めた若者たちにとって、10年という時間はあまりにも長すぎる。彼ら彼女らは5年、短い場合3年で一人前になれると感じている。一人前になったと思い込んでいる。
この違いはどこから来るのだろうか。それはウェブを活用する姿勢だと思う。若い世代はだれもが自然とウェブ脳を身につけている。ウェブ上にある膨大な自分の知らない情報を、知らないとは思っていない。それはそこに確実にあるもので、引き出そうと思えば引き出せる。自分の能力の内だと捉えている。
古い世代は、暗記して初めて自分の知識といえると考えてきた。これからのジェネレーションにとって、知識は自分の脳から引き出すものではなく、ウェブ脳のどこかに存在するだろうというものへと変質しているのである。
このように、ウェブに対する接し方がジェネレーションの間でどうしようもないほどの違いを生み出している。
想像してみて欲しい。数分でハイクオリティの映画がダウンロードできる環境が当たり前だと思っている若者がいることを。携帯電話ですら、動画をダウンロードできることが当たり前だと思っている若者がいることを。ウェブの接続速度が遅いと感じたことがない世代がいることを。自分が知らないことは、検索キーワードをいくつか入力する。検索結果を100ほど拾い読みする。そうすることで、おおよそのことが把握できたと思っている世代がいることを。
ウェブ上に蓄積されている情報は信頼性が低い。ウェブ上の情報ばかりを当てにしてはならない。そういう警笛を鳴らす大人も多い。しかし、公表されている情報の真偽のほどがわからないのは、何もウェブだけではない。
毎週発売される週刊誌など、話題を呼ぶために幾分、いやかなり誇張された記事となっている。私たちはそうした情報に接する場合、話半分という姿勢で臨んできたではないか。
今の若い世代は、ウェブ上で公開されている情報の真偽の程が疑わしいことは、40代以上の中年以降の世代に比べてはるかに認識している。彼ら彼女らの方がよほどウェブ上の情報との付き合い方を心得ている。
単なる知識という面でなら、1年で専門家並みのものを手に入れることができる。それも超効率的に。
 たとえ1年でも年齢が違う人と、コミュニケーションを図るときや、共通認識を醸成しようとするときには、その間に横たわるジェネレーションバレーを常に意識する必要が出てくるだろう。特に自分よりも若い世代と相対するときはなおさらだ。
10年一昔。それは20世紀の言葉である。ウェブ脳を持つことがあたりまえのこととして成長してきたこれからの若者にとっては、1年一昔。それくらいの違いが存在する可能性があると考えて望んでいく必要がある。

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6.4 アウトプット志向で生きていく



もっとアウトプット志向で生きてみるのはどうだろうか。これまで決してそうではなかったわけではない人も多いだろう。日記を毎日つけている、そういう人も多いはずだ。これまでと違うのは「アウトプット」という言葉の定義だ。
 「アウトプット」というと、どうも「良くできたもの」、「すばらしいこと」、「公表すべきこと」などたいそうなもののように受け取られがちである。しかし、ここでいうアウトプットとは、それぞれの生きた足跡である。痕跡である。どんなことだっていい。どんな些細な事だっていい。どんな幼稚なことだっていい。それをウェブ上のデジタル情報としてのアウトプットとしてどんどん保存してはどうだろうか。
今日本にはブログを開設している人が1500万人ほどいる。ただ残念ながら、その中で毎日ブログを更新している人は200万人もいないだろう。200万人しかいないと言いつつも、200万人とはすさまじい数である。一人の人が平均500文字を書いたとしても、合計すると10億文字となる。本にして1万冊分はあるだろう。
デジタルデータである限り、大げさに言えば未来永劫それは参照され続ける。Googleを代表とする様々な検索エンジンが、あなたが書いた文章を探し出してくれる。それを興味を持ちそうな人へと届けてくれる。
僕が思っていることを、わざわざ発信するまでも・・・。私が思ってること書いてもバカにされるだけではずかしい・・・。
そう思う必要はない。どんどんアウトプットしていってはどうだろうか。ホームランはいらない。ヒットでなくても良い。ピッチャーゴロでもいいじゃないか。シュートがゴールポストの脇を逸れて外れてもいいではないか。ボールを蹴らなければ何も始まらない。
 
例えば、ウィキペディアである。これはウェブ上で公開されている知的公共資産とでもいえる代物だ。私はウィキペディアに書き込みをしたことがある。20078月に、大阪の長居陸上競技場で開催された世界陸上選手権、男子110メートルハードル決勝の「終了5秒後」に、中国の劉翔選手が12.95秒の高タイムで優勝したその情報を書き加えてみた。それは、日本のウィキペディア上、その情報に関する最初の書き込みであった。
その数十秒後、ブラウザの更新ボタンを押してみると、2位と3位の記録が他の誰かの手によって書き加えられていた。ここで私が成し遂げたことは、世界で始めて、ある出来事について、言葉という形でウェブ上に保存したということである。
ウェブ上に蓄積された情報は、大げさに表現すれば全世界の人が参照可能である。文字数にして10文字程度の情報ではあるが、紛れもなく私の行為は、それに関しては世界最速だった。私はある種高揚感のようなものを感じた。今後、ウェブ上の記録は消えることなく何百年と蓄積・参照されることだろう。私はその中の極小さい部分ではあるが、足跡を残すことができたのである。
ウェブが可能にしたことは、全世界の人々から参照される可能性のある「ささいな情報」を、手軽にすばやく作り出せる環境を提供したことである。私のアイデンティティは残らないかもしれない。しかし、私が起こした行為は、デジタル情報として廃れることなく永遠にウェブ上に保存される。そして、全世界の人々から参照され続ける可能性を秘める。
「小さな偉業を積み重ねることができる」それがウェブの大きな特性のひとつである。

昔の格言の「塵も積もれば山となる」とはこの21世紀のためにあるような言葉だ。デジタルだからこそ、塵がほんとに積もるのだ。ひとつの山となるのだ。
アナログのとき、確かに塵も積もった。でも世界のあちらこちらに小山ができる程度だ。今は大きな山が世界で1つだけ存在するのである。ウェブという巨大な山が。そこにどんどんどん塵を積もらせよう。狙って当たるなんてことはそうそうあるものじゃない。私は幸運の偶然、セレンディピティを待ちたい。

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6.3 Anxiety/答えのない闇を歩き続ける覚悟



以前コロンビアビジネススクールのエグゼクティブMBAにおいてリーダーシップ論のコースを取っていたときのことだ。指導教官のラルフ教授(Prof. Ralph Biggadikeからリーダーシップについて次のようなことを教わった。
会社という組織が立ち向かう問題は2つの軸で分類が可能である。ひとつは問題に対する知識や経験のレベルが確実に対応可能なレベルなのか、不確実性がある状態なのかという点。もうひとつは組織における合意が、合意可能なものなのか、合意困難なものなのかという点。
不確実で合意困難な問題はまさに混沌とした状態といえる。それに対して、確実で合意可能な問題は道理的であり、これはリーダーでなくとも判断できなければならないだろう。リーダーとは、確実性と不確実性の間に位置づく問題。合意可能と合意困難の間に位置づく問題。そうした複雑系の問題を導いていくことだという。

人は不安定な状態を嫌う。問題があるならば、それにはすっきりとした答えがある方が気持ちが良い。答えがある方が心が落ち着く。しかし、リーダーシップにはそれは許されない。合意可能か合意困難かが判断がつかない。そういう心地悪い状態をコントロールし続けなければならない。加えて、過去に同じような経験があるわけではない。過去に同じような問題を解いたことがあるわけではない。そうした不確実性を孕んだまま、毎日を過ごす必要がある。
ラルフ教授はそのことを、anxietyと共に生きていくと表現している。Anxietyとは直訳すれば心配となるが、ここでの意味合いは「不安」や「懸念」や「もどかしさ」と捉えることができるだろう。こうした複雑系の問題をリーダーが対象とする場合、適度なanxietyを内在して問題に取り組む必要がある。Anxietyしすぎてもそれはそれでよくない結果を引き起こす。何事にも躊躇して実行に移さなくなる恐れがあるためだ。
こうした複雑系の問題に位置づくものは、おおよそ人の問題である場合が多いと思う。経営において最も重要なことは戦略を立てることではない。戦略をやり遂げることである。
誤解を恐れずに言うならば、戦略は誰が考えてもさほど変わりはしない。マーケティング戦略、プライシング戦略、チャネル戦略、プロモーション戦略など様々な戦略本は世の中に溢れている。たどり着くプランは、おおよそ常識の範囲に落ち着いてしまうものだ。
ただ、それをどう実行するのか。すぐに実行できるのか。どうやり遂げることができるのかが問われるのである。そして、そのために大きな障害となる問題は、おおよそ人の問題である。
戦略通りに人が動かない。戦略が誤解されて伝わっていく。戦略に対して反対する勢力が出現する。戦略の修正を周知徹底しようとすれば、経営陣を無能と捉える集団が出現してしまう。戦略の進捗状況をモニタリングしようにも、必要な情報が集まってこない。そもそも、情報にバイアスがかかり、経営判断するための情報としては心もとない。戦略が機能した組織とそうでない組織の間で軋轢が生まれる。新たな戦略を実行中に浮かび上がってくる問題を挙げれば枚挙に暇がない。そして、こうした複雑系に属する問題のほとんどすべては人に起因するものである。



システムを修正すれば良いのであれば、これほど単純なものはない。エンジニアを集めて、プログラミングの点検を始めれば良いからだ。確かに時間のかかる膨大で困難な業務になることが常だろう。しかし、問題はシステムのどこかに存在する。点検するべき場所は有限なのだ。
工場における生産効率を上げたいのであれば、すべての業務を棚卸ししてみれば良い。これらの実行にも当然ながら、困難は発生する。しかし、これらは確実に解くことが可能な問題なのである。
問題を精査した結果、その解き方が導き出せたとする。続いては、その実行となる。そして、実行するのは人なのだ。その実行がなかなか進まない。
リーダーが導くべき複雑系に属する人の問題について、どのような思考法があればそれに立ち向かうことができるのか。フリーのコンサルタント兼作家であるマーカス・バッキンガム著の「最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと」(加賀山 卓朗訳)で非常に含蓄に富んだ一節がある。

「私は生まれながらの教育者ではない。集中型で、企画向きで、次々と仕事をこなすのが好きな人間だ。ひとつ仕事をなしとげては、次に移りたい。要するに、ものごとをどんどん片付けていくのが好きなのだ。私にすれば、人に関する問題でじれったいのは、終わりがないことだ。人はつねに進行中の仕事のようなものだ。私にとってはこの進み具合を見つけるのが、いらだたしいほど難しい」

精神科医の医療カウンセリングもこれに似たところがあるのかもしれない。医療カウンセリングでは、仕事の内容や今の悩み、この一週間の出来事などを淡々と聞いていく。骨折や風邪などとは異なって、いつが治ったのか。どうなれば治ったことになるのかということが明確には定義できない。治療の進行状況を把握することが非常に難しい。
医者は理系である。いわゆる理系の頭をしている。学生時代の成績は当然優秀で、答えのはっきりする数学や物理が得意で合った人がほとんどだろう。そうした人種にとって、進捗状況がはっきりとしない物事に相対することほど、つらいことはないのではないか。

終わりがないもの。進行しているのか、進行していないのか、それがわかりづらいようなこと。合意できるのか、合意できないのかもわからないようなもの。そうした複雑系の問題に立ち向かい、数百人、数千人の人々を率いていく。そうした問題が存在し、そうした問題を導く仕事が存在する。
今の仕事に思い悩んだとき、そこにはこうした複雑系の要素が入り込んでいるものではないだろうか。一度頭を整理してみるのも良いだろう。進み具合がわからない状態の陥ったとしても、それはそれで良いのだ。そのままがんばって行けば良いのだと思う。

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6.2 「積極的に諦める」という挑戦



 何年か仕事に従事していれば、誰しもいくつかの勝ちパターンというものを見つけることだろう。こうすればうまくいく。この場合はこのやり方が一番効果的だ。これには常套手段としてこういうものがある。そう、いつものやり方だ。
 効果の高い有効な勝ちパターンを手に入れてしまった場合、どのような問題もどうにかそのパターンに帰着させようとしてしまう。問題を新たな手法で解決するよりも、問題を自分の勝ちパターンが成り立つように変換する方が簡単だからだ。しかし、その勝ちパターンに安穏としていては、成長は止まる。いつかのタイミングで、敢えてその勝ちパターンを封印する必要があると思う。敢えて逆境の中に身を置くのだ。
一時的に停滞したと思えるかもしれない。仕事の生産効率は下がるかもしれない。しかし、違うパターンを身に付けることができれば、自分の幅が広がる。対応できる仕事の幅が拡大する。

マリナーズのイチロー選手は言う。「今は、自分がわからないことや知らないことに遭遇するとき、お、自分はまだまだいけると思います」。
できないことを発見するとき。どうしようもないことと対面するとき。そういうときこそ、人は成長する。人には自己防衛本能がある。危機に直面してこそ身体は反応する。難題に直面してこそ、脳は反応する。

経営共創基盤の代表取締役兼CEOである冨山和彦さんは、「会社は頭から腐る」の中で次のようなことをおっしゃっている
「そこで私は大胆な提言をする。マネジメントエリートになる人間は、30歳で一度、全員、キャリアをリセットさせてはどうだろうか。全員、一度クビにしてしまう。役所も銀行も商社もメーカーも30歳でクビである。少なくともマネジメントを目指す人間は、自ら辞めるくらいでもいい。もちろん、会社に戻れる保証もない。」
盤石な状況を作り終えたら、その次はそれを捨てるような境遇に自分を置こうとしてみる。今持っているものを諦めて、新たなものを手に入れるという挑戦の中に身を置く。そういう覚悟が必要なのだろう。

ただ、毎日が負荷の連続では身体も心も持たない。例えば、この1年という時間は徹底的に自分を苛め抜いてみる。この1年は、敢えて自分を谷底に落とし込んでみる。「この1年は諦めてみる」と発想を変えてみるのも良いのではないか。
新しいことをやり始めるときは誰しもが不安を覚える。決心がつかないことも多々あるだろう。それは、他のことを諦めることができないから、迷うのだ。その同じ時間で、もっと別のことをするべきではないのか。2つのことを平行して行うほうが身のためなのではないか。諦めきれない心が迷いを生む。そういうときこそ、積極的に諦めてみるという気持ちが大事ではないだろうか。
ただし、例えば「1年という時間を諦める」というような時限的なものとする。1年追求してみる。失敗しても良いではないか。逆境の方が良いではないか。ずたずたになっても良いではないか。この1年だけは。そう諦めて、あらゆることに取り組んでみるのだ。

思えば受験勉強をしていたときも、私たちは諦めていたんではないだろうか。高校3年のときの1年間。受験勉強の優先順位を何よりもあげ、どうしようもないほど退屈な受験勉強に打ち込んだのではないか。
受験勉強ほどシンプルなものはない。テストの範囲は決められていて、どのようなテストなのかは過去問題からおおよその見当はつく。勉強の方法も確立されており、ただひたすら努力をすれば自ずと成果は見込まれる。目指すことは志望校への入学。得られる結果がはっきりとしている。やることがはっきりとしている。1年という時限的な期間である。だからこそ取り組めた。
社会の現場では、受験勉強のようなはっきりと輪郭が見える問題はない。解決策が体系化されているような問題はない。過去問題も存在しない。1年で必ず終わるという保障もない。立ち向かうものの輪郭が見えることは少ない。
しかし、その輪郭が見えないのはあなただけではない。私も誰しも、何者にも見えはしないのだ。だからこそ、自らの意思で諦めなければならない。自らの意思で、期限を区切らなければならない。積極的に諦めてみることで、今、自分が本当にやるべきことが何であるのか。その輪郭がようやくおぼろげながら見えてくるのではないだろうか。

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6. 未来を切り開く思考の転換



本章では、これまで述べたことを、さらに高めていくためにはどうすればよいのか。そのための思考の転換を様々な角度から9点ほどまとめている。
これまでお会いしてきた方々との対話を通じて私なりの視点でまとめたものだ。今よりもより良い未来を切り開くための示唆を感じ取っていただければ幸いである。


 6.1  失敗と同居する覚悟

あらゆることに失敗はつきものだ。問題はどれくらいの確率で失敗するのかということをあらかじめ知っておくことである。どんなに成功している人でも、その裏側で多くの失敗を重ねている。例えば、イチロー選手はメジャーリーグで8年連続200本安打を放っている。しかしその裏側で、毎年400本以上も凡打に倒れている。競馬の武豊選手は3000勝という日本記録を保有している。しかし、イチロー選手と同じようにその裏側で1万回負けているのである。横綱の朝青龍は、勝ち続けることを義務付けられている。一場所で15番勝負。3回負けてしまうと横綱としての威厳を取りざたされる。負けないことを求められる。史上初の7冠を達成した羽生義治さんは1000勝達成するまでに373回負けている。一対一の真剣勝負において、大衆の前で300回負けることに耐える胆力とはどれほどのものであろうか。

物事を突き詰めていく際に、どれくらい負けるものであるのか。それを事前に察知しておくことは重要だ。上記で挙げたスポーツの場合は、それが把握しやすい特徴がある。野球で言えば、日本のプロ野球史上4割バッターは存在しないのである。打席に立ったとき、60%の確率で失敗しても良いのである。そういう気持ちで望めば幾分精神的な緊張は和らぐ。
ただし、それも当然ながら時と場合による。2009324日に行われたワールドベースボールクラシックにおける韓国との決勝戦。延長10回の表、同点の場面でランナーは2、3塁。バッターはイチロー。誰もが100%の確率でランナーを一人でも返してくれることをイチローに期待した。失敗しても良い確率とは、あくまで統計として捉えた場合だ。100回打席に立てば、60回は凡打でも許される。しかし、どうしてもヒットが欲しい打席である場合、スターであればあるほど、確実な結果が求められる。プロフェッショナルといえども、それでもやはり失敗してしまうのだ。           プロフェッショナルを突き詰めるには、如何に負けることに慣れることができるか。失敗することと同居するくらいの覚悟が必要となる。

私たちが普段取り組んでいるビジネスの世界は、どの程度失敗するものなのだろうか。良く新規事業は千三だと言われる。1000個の事業アイデアで、ものになるのは3つ程度という意味だ。しかし、これも正確な統計データがあるわけではない。
私の仕事は経営コンサルタントだ。戦略の立案や新規事業の立ち上げ支援、M&Aへのアドバイスにプライシング改革など多岐にわたる。当然この仕事にも失敗はつきものである。ただしここでいう失敗とは、相手のニーズを満たす内容のサービスを提供できなかったことを意味するのではない。本来コンサルティングを提供する目的は、なにかしらの意思決定に結びつけることである。失敗とは、求めた意思決定に結びつかなかった場合のことを指す。例えば新規事業の立ち上げを支援する仕事の場合、理想的なゴールは社長や担当役員から、その事業立ち上げのための投資の承認を得ることだ。もちろん、事業の領域として、または参入のタイミングとして適切でない場合は、投資をさせないという意思決定を得ることもゴールとなる。こうした仕事の場合、いったい何本に1本の割合で成功すれば良いのだろうか。どの程度の割合で失敗することを想定する必要があるのだろうか。
私たちが普段行っているプレゼンテーションは何回に1回勝てればいいのだろうか。社長を説得しようとする、役員を説得しようとする、部長を説得しようとする、顧客を納得させようとする、そうしたことは何回に1回成功すれば良いのだろうか。

失敗に対する付き合い方、失敗する確率の大きさというものを事前に把握することなく仕事に励んでいる人が多い。10回トライしてみて、1回成功したときに大きな喜びを感じることができる心、そうした思考の転換が必要となるだろう。
まったく同じことを逆の見方から説明すると次のようになる。9回トライしてみても、9回とも失敗しているときに、よしこの調子でこのままがんばっていこうと、果たして思うことができるだろうか。
2度や3度の失敗など物の数には入らないだろう。失敗したことは誇りに思うべきで、むしろ失敗の経験がないことのほうが悲しい事態だと思うべきなのだろう。できることばかり取り組んでいたのでは、人生何も変わりはしない。できるかどうかわからないことに挑戦するときこそ、大きな成長の機会があるのだ。
いくらこうした思考で望んだとしても、失敗したときは苦しいものだ。どのくらいの確率で失敗しても良いものか。それを事前に把握していたとする。結果として、負けた確率が想定の倍以上ということもあるだろう。自分が目指す姿、自分が達成したい夢と現在の自分との間のギャップに途方に暮れることもある。しかし、夢は苦しむために見るものではない。そこへ向かって一歩ずつ近づいている。そう感じて、わくわくするために見るものだ。今日の一歩はギャップを感じるために歩むのではない。確実に昨日より夢に近づけたと認識するための歩みなのだ。

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2012年8月13日月曜日

5.6 言葉にする直前のもどかしさと心地よさ



言葉にしなければ伝わらない。書き表してみなければ、誰にも気付かれない。
そうはいうものの、言葉になる前段階で私たちは考えに考える。想いに想う。頭の中で試行錯誤しながら、言葉にすることを想像しているとき、イメージとしては非常にもやもやした絵画のようである。だけれども、時にはその言葉になる直前のもやもやした状態のものこそ、何よりも上手く言い表されているのではないだろうかという錯覚を覚えるときがある。
今この頭にあるものを、言葉にしてしまうとせっかくの良さが損なわれてしまうのではないか。非常に完成度高くまとまっているこの想いがチープなものへと変化してしまうのではないか。そんな気すらしてくるときがある。
もどかしさと心地よさが同居しているような感覚だ。
そういう感覚を楽しんで、思考を続けることは非常に良いことだと想う。敢えて急いで言葉にしてみる必要もないのではないか。急いで文章に起こしてみるまでもないのかもしれない。考えれば考えた分だけ、そのことの周辺部分へと思考は拡大する。たとえ未完成の状態だとしても、いつか言葉に出そうとしたときに、非常に力強いものに変貌している場合もある。
そうは言っても人の常。せっかく頭の中で考えてきた良いイメージを忘れてしまうことがままあるわけだ。それを防ぐためにはやはりメモが必要だ。ポストイットでもノートの端でもスケジュール帳でも構わない。もやもやとイメージしているそのことを思い出すきっかけの単語でもいい。そういうメモを残しておくと良い。
まだ言葉にはできないけれど、頭の中でそのアイデアというものを暖めておきたい。暖め続けるためには、脳がそれを呼び覚ますことができるきっかけを残しておくことが必要だ。

暖めておくと、もうどうにも言葉として表したくて仕方のない衝動に駆られるときがくる。書き表したくて仕方のない欲望に駆られるときがくる。そのもやもやとしているが、頭の中では完璧と思えるアイデアというものを、うまく言葉に変換するためにはどうすることが近道か。前段の「イノベーションは模倣から始まる」でも述べた内容に繋がることなのだが、それもやはり組み合わせなのだ。
私は時間を持て余す出張中の飛行機や新幹線の中で、次のようなことをよくする。今まで書き残してきたメモをもう一度通して読んでみることだ。
それはこれまで呼んできた本から削り取った感銘を受けた言葉である場合もある。顧客や友人から聞いた心に残った言葉をメモしたものである場合もある。言語化する直前の、まだうまく言い表すことができない漠然としたアイデアを考えるためのきっかけを表現した言葉である場合もある。
そうしたアトランダムなメモを一つの物語のように始めから一つずつ拾い上げ、読んでいくのだ。何度かその作業を繰り返すと、繋がりのなかったはずの物事の間に、突如強固な関係性を見出すようなときがたまにある。
まさに頭にパッと光が瞬いて思いつくような瞬間だ。
心に刺さるキャッチコピーを考えたい。感動するような映画のセリフを考えたい。落ち込んでいる友人にかけるべき言葉を考えたい。明日の報告会で社長に自分のことを覚えさせる気の効いたつかみの一言を考えたい。
そういう時に、家に閉じこもり、あらゆる窓を閉じる。外界からの影響を取り除いて一心不乱に考え込む。そのことだけに集中する。そういう方法を取る人の方が多いのではないか。しかし、残念ながらそういうアプローチは良い結果を生まないのではないだろうか。そういう場合に悶々を一人で考えるくらいならば、シャワーでも浴びて気分転換した方が良い。

ポアンカレ予想というものがある。1904年にフランスの数学者アンリ・ポアンカレによって提起されたものだ。これは、「n次元ホモトピー球面はn次元球面に同相である」というものだ。中でもn=3のときの証明が100年間なされなかった。
そうは説明を受けてもなんのことであるのかわからない。簡単に言い換えると、地球から宇宙船が飛び立つとする。宇宙船には極めて長い紐をつけておく。宇宙船が宇宙を1周して帰ってきたとする。その後で、ロープの両端を引っ張って行き、すべてのロープが回収できるとする。そのとき、宇宙の形は概ね球体であるといえる。そういう予想だ。
一般人からするとなんとも素っ頓狂な謎かけのように感じるが、これはフェルマーの最終定理と並ぶ数学の難問なのである。最終的に2002年から2003年にかけてロシアの数学者グレゴリー・ペレルマン氏が証明した。ただし、この証明が合っているかどうかを検証するために世界の数学者がチームを組んで3年を要してようやく確認された(と考えられている)。それほどの難問だ。
ペレルマン氏の他にも、天才と言われた何人もの数学者達がこの問題に挑戦した。数学は基本的には頭の中と紙で取り組める。天才がこうした難問に取り組む際には、あらゆるものをシャットアウトしてひたすら白いノートに戦いを挑むことになる。来る日も来る日も一人暗い研究室に閉じこもり、孤独な戦いが繰り広げられる。家族との団欒、ランニングなど体を動かすことによるリフレッシュなどそうしたものすべてを犠牲に捧げるほどの孤高の戦いだ。こうした戦いの過程で、何人もの天才数学者達が、日常生活に支障を来たしたり、精神異常になってしまった。ポアンカレの亡霊にやられたとでも表現できるかもしれない。

私たちの生活の中で、ここまで埋没するような難問はそうそうないとは思う。そうは言っても、解決策が思い浮かばずに眠れない日が何日も続くということがあるだろう。そんなときは想いに想い、考えに考えることだろう。それでもどうにもうまくいかないときがある。その悩みを言葉に表そうとも、表現しきれないときがある。そんなとき、次に起こすアクションは一人で閉じこもって行うべきではない。
まずは様々なメモを見返す。人から影響を受けて、書き記したメモだ。読書でも、話でもなんでも良い。そとから影響を受けた情報に目をやるのである。
次は、誰かと話すのだ。上手い言葉になっていなくても良い。その言葉になる直前の考えを、誰かと議論をするのだ。言葉にならない考えを無理やり言語化しようとしたときに、あと何を考えれば良いのかということを閃く場合もあるだろう。話した相手からの質問によって、今まで自分では気付かなかった盲点が明らかになる場合もあるだろう。
人間、一人だけで考えをめぐらせたとしても限界がある。相手からアイデアをもらう必要はない。ただ話しを聞いてもらうだけでも時には良いかもしれない。それが今の現状を打開するための一番の近道であったりする場合が非常に多いのだ。

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5.5 五月雨式に関連付ける



「なぜ、人は原子に比べこれほど大きくなければならないのか」
 科学的な質問で、これほど面白い質問を聞いたのは久しぶりだ。この問いかけは、「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著)で紹介されている。
原子がとてつもなく小さいことは皆さんご存知だと思う。人間は何個の原子から出来ているのか。中学生の頃、こういう疑問を持ったことはあった。しかし、その逆説的な見方、なぜ人は原子に比べてこれほど大きくなければならないのかという疑問は全脳細胞がざわめき立つような問いかけだ。ちなみに、人間はおおよそ10の28乗個の原子、60兆個の細胞から成り立っているらしい。
 冒頭の問いに対する答えは福岡さんの書籍に譲るとして、物事五月雨式に関連付けて考えていくことが重要だ。原子を新たに知ったのであれば、その大きさはどのくらいか。原子とは世の中に何種類あるのか。どの原子が地球上では最も多いのか。人間は何個の原子から成り立っているのか。そして、なぜ人は原子に比べてこれほど大きいのだろうかと。新しく学んだことができたのならば、それを様々な角度から眺めてみることだ。右から眺めれば、左から。次は上からつぶさに観察する。その次は下からだ。続いて中から見るのもいいだろう。遠いところから目を細めてみて見るのも面白い。

 2009年4月楽天が保有しているTBS株をすべて売却することが発表された。放送と通信の融合を図ろうとする道の一つが絶たれた格好だ。こういうニュースが飛び込んできたとき、どういうことを想像するだろうか。私は頭の中で、このニュースを上下左右様々な角度から眺める。そうして、次のようなことを五月雨式に考えていく。
l  放送と言えば、テレビだ。日本でテレビはいったい何台存在するのだろうか。だいたい今コンセントに繋がっているテレビで1億2000万台程度だといわれている。
l  テレビと言えば、プラズマテレビと液晶テレビが人気だ。今50インチのそうしたテレビはいくらだろうか。安いもので15万円のものもあるそうだ。高いものだと40万円近い。
l  通信といえば、パソコンだ。ではパソコンを使っている人は何人いるのだろう。ブロードバンドに加入している世帯は2500万世帯くらいだ。1世帯で3人とすると、7500万人くらいだろうか。
l  携帯電話でも、データ通信は可能だ。そういえば、携帯電話でもテレビ(ワンセグ)が見れる。ワンセグはどのくらいの人が見てるのだろう。調査結果によってまちまちだが、だいたい5割から6割の人が利用したことがあるそうだ。
l  こうした放送と通信が融合するとは何であろうか。テレビを見ながら、思いついたときに手元の携帯電話から、思いついた商品を検索して、ネット通販で注文する。そういうことだろうか。2008年には、携帯電話上の通販での買い物した総額が1兆円くらいになったと推計されている。
l  そういえば、最近のテレビにはネットにも繋がるそうだ。パナソニックやソニーが参画しているacTVilaというサービスがあるそうだ。それに繋げれば、テレビ画面でYouTubeが見れるそうだ。映画もダウンロードして見れるそうだ。どのテレビでも見れるのか。どうやら最新機種の上位機種でないとみれないようで、全体の1割程度らしい。
l  では、1億2000万台のテレビすべてにそういう機能が搭載される日はいつごろになるだろうか。テレビは何年に1回買い換えるだろう。短い人で5年。長い人で10年くらいか。仮に7年とするならば、毎年2000万台のテレビが売れることになる。実際のテレビ販売台数は、1100万台だ。どうやらリビングルームなど家庭にとって主役のテレビを主に買い換えているのかもしれない。
l  これから売れるすべてのテレビにその機能が搭載されたとしても、7年かかる。寝室においているテレビは中々買い換えられない。田舎の高齢の方しか住んでいない世帯はさらに買い換えないだろう。そうなると、10年後でも難しい。早くても15年後にようやくすべてのテレビがこうした機能を使えるようになるのだろう。
l  そういえば、この間の国会答弁で、2011年に終了予定の地上波デジタル放送の対策が取りざたされていた。まだ50%のテレビが地上波デジタル放送に未対応らしい。
l  ところで、最近NHKはビデオオンデマンドというサービスを始めたようだ。それでは月額1470円(税込み)で、NHKスペシャルなどの番組が見放題だ。
l  NHKスペシャルは私も好きな番組の一つだ。そんなテレビ番組がパソコンで見れるようになるとは、これも放送と通信の融合という気がする。
l  そういうサービスはどれくらいの人が申し込むのだろう。私はまだ申し込んでいない。使いたいとは思うが。どうやら3ヶ月で5万人程度が申し込んだようだ。
l  5万人の利用者というのは、多いのだろうか。少ないのだろうか。NHKスペシャルということで仮に限定するとどうだろう。ビジネスマンがターゲットか。だいたい30代から60代くらい。だいたい人口で6000万人。男性だけだと3000万人となる。5万人とは0.2%に満たない。まだ多いとは言えない段階だろうか。
l  ・・・

 こういったことをニュースを聞いて2、3分で五月雨式に思い浮かべていく。お気づきだろうか。すべての思考において、かならず数字が出てきていることに。
 あらゆる考えには、数字を持たせることが重要だ。数字(特にアラビア数字)は、全世界共通の言語だ。数字には説得力がある。数字には魔力がある。発言の端々に数字が少し入り込むだけで、発言の重みはまったく変わってくる。
 今例に挙げたように、五月雨式に関連する物事を考えていく。そこへ常に数字を入れ込んでいく。わからないことがあっても良い。その場で、ウェブに接続して検索して調べれば良い。大概のことは発見できる。
 物事を厳密に考えることは重要である。日本でコンセントに繋がっているテレビが1億2000万台ではないかもしれない。厳密に調査しなければその答えはわからない。ただ重要なのは、あらゆる物事を厳密に捉えるよりも、どんどんと五月雨式に思考を拡散させていくことだと思う。
 コンセントに差し込まれたテレビの台数を知っている人はこの世に存在しない。日本の世帯数が5000万世帯を超えることは事実である。日本にはホテルがおおよそ1万あるのも事実である。病院も1万ほどある。そういうところにはかならずテレビがある。ということは、コンセントに差し込まれたテレビの数は1200万台であるわけはない。もっと多いことは感覚でわかる。12億台はない。1人あたり10台となってしまうからだ。物事で重要なのはオーダー(規模感)をまずつかむことである。より厳密な答えが必要になれば、そのときに厳密に調べればよいのだ。それよりもまず、五月雨式に思考を拡散させる方が、はるかに面白い発想が思い浮かぶのではないだろうか。

 ここで1つ面白い質問がある。

 日本には、いったい何本の電信柱があるだろうか?

 以下、私なりの考え方だが、まずは皆さん各自で考えてもらいたい。私は事実は知らない。まだ調べていないので。
 まず日本の面積は37万平方キロメートルである。これは私は記憶している。電信柱がありそうなところはどこだろうか。やはり市街地だろう。人の住むところだろう。人が住むから電気が必要なわけであるから。とすると、日本の国土の3分の1程度が人が住んでいるところと大まかにとらえてみる。残りの3分の2は山間部だ。よって、電信柱がある国土は12万平方キロメートルとなる。
 電信柱はどのくらいの間隔で立っているだろうか。都会だと10メートルに1本の割合で、田舎だと100メートルに1本の割合だろうか。これはあくまで私の直感だ。
 まず暗算でも出来るように計算を簡単にする。100メートル四方におおよそ2本から4本の電信柱があるとしよう。これは密度が高い都会と、密度が薄い田舎の平均としておいたものだ。
 そうすると、12万平方キロメートルを1万平方メートルで割ると答えがでる。日本には電信柱が凡そ2500万本から5000万本立っている。
 多くの人からご指摘、ご批判は出るだろう。これはあくまでオーダーを求めるためのアプローチだ。正確なデータを知りたければ、国会図書館に行けば見つかるかもしれない。電車賃を払って図書館に行く。様々な文献を調べあげる。トータルで2時間を要した。その結果が、仮に3424万本と判明した。その2時間を費やしてでも、やるべきときはやるべきだろう。それよりもまずは2500万本から5000万本というオーダーを把握して、そこから五月雨式に様々なことに思いをめぐらせる方がはるかに面白い。
 日本全国の電信柱に広告のビラを貼り付けようと思ったら、1000人の営業マンがいたとしても、一人あたり5万本も担当しないといけないのか。ということは、こういうビジネスは全国津々浦々に、小規模の事業者が存在するのだろう。
 日本から電信柱をなくして、きれいな景観にしたい。そういう公共事業は可能だろうか。5000万本もあるなら、そうとうな資金がいるな。1本の電信柱を埋めるためには、まったく検討がつかないが100万円はかるくしそうだ。となると、すべての電信柱を埋めるために必要な資金は50兆円にもなる。これは未来永劫不可能なようだ。
 電信柱はなぜ灰色で、あまりデザイン性が高くないのだろうか。すべての電信柱に、二酸化酸素を吸収するような特殊素材を塗ってはどうだろうか。そのついでに、色合いももう少しカラフルに。街が美しく見えるようなものにする。これは面白い公共事業になるのではないか。
 いったん大まかに5000万本という規模を把握することができれば、そこから五月雨式に様々なことが思い浮かんでくる。思いがけないニュースが飛び込んでくるたびに、五月雨式に、定量的に発想していく。そうして蓄積される知識は大きな財産になるのではないか。

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5.4 ウェブ脳へのシフト



ウェブが本格的に普及したのは1995年。ブロードバンド化によってあらゆる情報が蓄積され、閲覧され始めたのが2001年。ブログやSNS、動画投稿型サイトの出現によって、不特定多数の人々が情報を発信し始めたのが2004年。そして、2009年現在、ブログを開設したり、SNSに登録している人は数千万人に及ぶ。10代から50代、60代まであらゆる人がウェブを情報の獲得と蓄積をするツールとして日常的に使いながら暮らしている。

では、この10年で「読む量」と「書く量」はどちらが相対的に増加しただろうか。私は間違いなく「書く量」だと思う。いやいや「読む量」だとお答えになる方もいるだろう。この10年で最も大きな変化は、インターネットと携帯電話の爆発的な普及だ。インターネットはダイヤルアップのナローバンドから、光ファイバのブロードバンドへと進化した。映画さえも数分でダウンロードが可能となっている。携帯電話に至っては、日本中どこにいようともメールもウェブサイトの閲覧も可能である。今やその処理能力はパソコンとほぼ同等だ。それに加えて、googleを代表する様々な検索技術が広まり、あらゆる情報に容易にアクセスできるようになった。
「読む量」が多いという感覚を持っておられる方は、これだけ容易に情報が取り出せるウェブに日々触れているためだろう。確かに目の前を流れる情報量はウェブがない時代に比べて格段に増したと思う。しかし、実際に読む量はどうだろうか。ウェブがない時代、目当ての情報を発掘するために、どれだけの回り道をしたことか。そのためには、相当量の情報を読む必要があった。
それに対して、ウェブとは獲得したい情報を効率よく得ることができるツールである。検索することで、目当ての情報に関連する情報だけを抜き出して得ることも容易となった。ウェブがない時代に比べて、圧倒的に効率良く獲得したい情報を多く獲得しているのである。そのために、読む量が増えたと錯覚しているにすぎない。実際のところ、読む量というのは年々減ってきているのではないか。特に、最初の一文字から最後の一文字までを読むという旧来のやり方は誰もしなくなった。斜め読みどころか、拾い読みをしている場合が多い。

私の実家には、大百科事典があった。総カラー装丁で25巻くらいのものである。小中学校の頃、よくこれを読みふけっていた。そのころ本や小説は全然手に付かなかったが、こうした知らないことが載っているものには飛びついていた気がする。岩波書店の広辞苑も疑問がふと沸く度に引いていた気がする。こういう本の良いところは目当ての情報を探り当てる過程で、否が応にも他の情報にも目がいってしまうことだ。そのプロセスでは、余計なページに目をやるために、予期しないうれしい発見が度々起こる。
ウィキペディアの日本語版には58万本もの記事が掲載されている(20094月現在)。ゴシップネタや時勢にのった最近の芸能ネタまで網羅しているわけだから、百科事典よりも情報の活用度としては重宝するのかもしれない。そして検索可能である。今の世代、つまりウェブで検索することが当たり前の世界になった以降に物心がついた世代。こうした世代は、一生百科事典というものを手にせず終わってしまうのではないだろうか。
知らないことを知ろうとするときや親に聞いていたことを初めて自分で調べようとするときには、百科事典をとるような子供であってほしい。広辞苑をとるような子供であってほしい。なんだかそう感じてしまう。これは古い世代の考えなのだろうか。欲しい情報に関連する部分だけを拾い読みするだけでは、真の知識は蓄えられないのではないか。

それに対して「書く量」は圧倒的に増大している。パソコンと携帯電話とメールの普及である。まず友人同士で考えた場合、昭和の時代に今ほど手紙を書くことなどありえなかった。特に男同士の場合に、手紙を書くという行為はまずありえない。小学校時代に書く手紙といえば、女の子に書くラブレターくらいのものだ。今の小学生は携帯電話の10キーを使って1分間に100文字くらいは軽く書く(正確には打ち込む)。パソコンにおいてもブログやSNSにおいて、日々様々なことをウェブ上に書き残している。アマゾンで本を購入しようと思えば、その書籍に対する感想や批評が一般の消費者の手によって何件も書き込まれている。
キーボードによって、書くスピードは格段に増した。それはビジネスの現場でも言える。パワーポイントのように扱いやすいプレゼンテーション資料作成ソフトができてからは、人はどんどんと書くようになった。加えて、1分間に20枚も30枚もカラー印刷できるプリンタが開発されてからは、人々はどんどん書くし、どんどん印刷するようになった。
書くという行為は原稿用紙であれ、パソコン上であれ一文字は一文字である。斜め読みはあるが、斜め書きなどというものはない(あればそのやり方はぜひ教わりたいところではあるが)。ウェブの進化によって、書いたものを保存する技術も格段に増した。今人々は信じられない分量の情報を日々書いているのである。

 書く量が増えることで、次に何が起きたか。自分が書いたものを読む人の数が以前に比べて格段に増加した。ウェブのない時代に観た映画の感想や批評を書いたとしても、それを読むのは家族か限られた友人くらいのものだ。不特定多数の人が読むということはなかった。今では思いついたときに書いたものがブログなどで投稿ボタンを押せば、世界中の人から読まれる可能性がある。残念ながら日本語の場合は、日本人が読者に限られてしまう可能性が高いが。
 この変化によって発生した問題がウェブ上の誹謗中傷である。ブログであれ何であれ、ウェブ上に表現したことは、表現したいことの一部を切り出したものであるはずだ。それがなぜだか読み手にとっては、それが記事の投稿者が表現したいと考えることのすべてだと誤解してしまう場合が多いようである。
自分の主張や感想の中のある一部を、自分の気持ちのほんのひとかけらを、ウェブ上に表現しているに過ぎない。舌足らずなものである場合も当然あるだろう。しかしながら、ウェブ上では情報は独り歩きする。デジタルデータでネットワーク化されているため、いつまでたってもこの膨大な情報の海であるウェブ上をゴーストシップのように徘徊することとなるのである。
 この乖離は、書き手と読み手のギャップに問題がある。書き手はウェブ上で書く場合は、乱暴な表現で言えば「垂れ流し書き」しているに過ぎない。容易に情報を発信できる媒体であるウェブを活用して、ある瞬間に頭に過ぎる言葉を表現しウェブ上に保存しているに過ぎない。それに対して、読み手は、求める情報を探索する手段としてウェブを活用する。そのため、そのある一部分が切り出された文章を情報の全体と判断し、拾い読みするわけである。
この認識のギャップが誹謗中傷を生む。舌足らずな説明だと批判をする。考えが足りないと文句をつける。どうしてこうした記事を書くのか理解に苦しむと揶揄をする。こうした冷酷な反応が溢れかえる。いわゆる炎上するという状態だ。茂木健一郎さんは「欲望する脳」の中でこうしたウェブ上の行為を「野獣化:自分の欲望を無条件に肯定し、それを他人に対して表出することをためらわない傾向」と表現している。
これはまさに、昨今のウェブ上における表現の氾濫を端的に表している言葉といえる。「表現したもの」という固まりは、人によっては自分の分身のように大切に扱いたい衝動にかられる。しかし、そう考える人にとっても、分身ではあるが、それでもそれはあくまで表現物であり、自分のすべてではないと考えている。野獣化したウェブ利用者たちは、ウェブ上に散らばる無数の、「ある人の分身」をあたかもその人の全人格であるがごとく捉え、そこに対して野獣としての牙(自分の欲望を無条件に肯定し、それを他人に対して表出すること)を剥く。

赤ん坊が自己と他者を見極める過程は、手や足によってさまざまなものに触れ、触れられた感触を受けるものが自己、触れられた感触がないものが他者と認知する。そうしていくことで、この世界の中に自分ではない何者かが存在することを学ぶという。
また、泣くことでミルクやご飯を要求することができることを学ぶわけだが、その切なる願いが、100%自動的にかなえられるものではないということに気づく。つまり、母親が他の用事に気をとられ対応できないというようなときだ。これによって、他者という存在は、自分には制御できないもの、制御できない領域にある存在だと気づく。そこから家庭内、幼稚園、小学校と実世界を生きていく中で、社会性を手に入れ、利己的に考える。時には利他的に配慮し、何がよくて何がよくないかということを、経験値として獲得していく。
ウェブはいつでもどこにいてもアクセス可能である。そして地理的にどんなに離れていても、交信し合うことが可能である。情報を引き出すときには非常に他人が身近に感じる。しかしながら、情報をウェブ上に入力する際は、とたんに人との接触が間接的で遠いものと感じてしまう。そのため、ウェブを使う人たちの多くは、まだ何が良くて何が良くないのかということの判断がつきにくい。
私も以前自分のブログ上である書籍についての批評を何気なく書いたことがあった。そうすると何日か後に、本の著者からお詫びのコメントを頂いた。私のブログの使い方は、自分のメモ代わりに何気なくつけているものだった。だがそれも一般に公開されているわけで、著者が見る可能性は十二分にあるものだった。本を読み終わったとき、友人の前ではその本が面白かったのか、面白くなかったのか。そうしたことは大いに語り合うべきだと思う。ただ、著者を目の前にして、ぞんざいにこの本は面白くなかったと言えないのと同様に、そうしたことを舌足らずにウェブ上に残すべきではない。私はそれ以来、むやみな批判はなるべく避けるようにしている。
ウェブ上に様々な情報を書き込む。ウェブ上から様々な情報を引き出す。ウェブ上にあるから敢えて覚えない。ウェブというツールを自らの2つ目の脳として位置づけ、それを活用していくことがこれからは求められる。
その際に、情報をウェブ上に書き込む場合は、なるべくネガティブな書き方は慎むことが望ましい。批評をする場合は、批評される立場になり得る人が目の前にいるかのような配慮が欲しい。

情報を引き出す際には、その情報すべてを鵜呑みにしてはいけない。その情報の出し手は、自らの思考のすべてを書ききったつもりはなく公開されているものと理解するべきだろう。ウェブ上の情報は当然自由に扱えるという意識ではなく、情報を頂いたという立場で接したい。
ハードディスクやフラッシュメモリなどの記憶装置の価格は年々低下している。最近では2GBSDカードが数百円で手に入る場合もある。ウェブ上に情報を保管しておくことは、無料に等しい。もはや1300グラムという限られた人間の脳の中に、必死に情報を詰め込むよりも、如何にウェブ上の記憶空間をうまく活用するかということが重要となる。
何をリアルな自分の脳で記憶し、何をウェブ上の第二の脳としてのウェブ脳に記録しておくのか。脳とウェブは使いようである。

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