2012年8月16日木曜日

6.6 30年後の日本の形



「生まれてから一度だって日本がすごい国だなんて思ったことありませんよ。いつもダメダメでした。」
 これは現在23歳のある若者の発言だ。日本ほどこの何十年かの間で、世界的な地位が大きく変動した国はないのではないだろうか。
 皆さんはいつから新聞を読み始めただろうか。テレビ欄ではなく、社会面や経済面や国際面である。私の場合、18歳ころからだと思う。物心がつく年齢は、5歳だとか遅くても8歳だとかそういう年齢になるだろう。ただ、社会や経済との繋がりを意識するのは、だいたい大学に入学するころではないだろうか。
 ここではその境目を18歳と仮に置く。とすると、18歳以降にインプットする情報というものが、その国やその国で生きる人々の形として心に根づいて行く。それは第一印象とも表現できるかもしれない。

 私が18歳になった1993年は、OECDの1人あたりGDPランキングで日本が世界首位となった年だ。バブル崩壊後、私の中ではにわかに世間が騒がしくなり、経済が大変なことになるという漠然とした危機感を感じていたときだ。それにもかかわらず、この年に日本は世界ランキングで1位となる。
バブルの仕組みを理解しているわけではなかった。経済や政治についてもようやく関心を持ち始めた程度の学生の時だ。新聞やテレビでは毎日のように、経済の危機だと喧伝している割には、日本もなかなかやるなと思ったのが、私の日本という国に対しての第一印象だったのかもしれない。
 そこから2001年まで、だいたい毎年5位以内を推移する。失われた10年と後に言われた時代でありながら、国際的な位置づけが、経済の流れとは逆行するかのうように高水準を維持していた。
しかしながら、2002年のITバブル崩壊以降、日本は滑落の道をたどる。2007年には為替レート換算で19位にまで落ち込んでしまう。これは1975年よりも低位だ。私からすると、日本という国は、頂点から坂道を下り落ちて行っている。それが私が持つ日本という国の形だ。

 冒頭の言葉は1985年に生まれた若者の言葉だ。彼ら彼女らからすると、この1人あたりGDPランキング一つとっても、国の形というものに対する第一印象がまったく異なることがわかる。18歳になる2003年にランキング10位だったものが、わずか4年の間に19位にまで落ちていくのだ。だからこそ、冒頭の言葉が出てくるのだ。生まれてから一度だって日本がすごい国だなんて思ったことがないと。

 世代が上がるとまた違った日本の形が見えてくる。例えば、1970年に18歳を迎えた世代をイメージしてみよう。彼ら彼女らは1952年生まれで現在56歳だ。1970年当時では、1人あたりGDPは20位を下回る。それが1975年には16位となり、33歳の1986年にはとうとう一桁に突入する。
そして時代はバブルを迎える。1人あたりGDPランキングで日本が世界一となる1993年は41歳だ。バブル崩壊を経験はしているものの、日本の大企業に勤めているならば、部長になってもおかしくない年齢だろう。この世代にとって、日本という国は、自分と共に成長した頼もしいパートナーと写っていたことだと思う。それから15年。確かに国の勢いはなくなったかもしれない。それでも過去の栄光を懐かしむには十分な年齢だろう。

 この日本という国に対して持つ印象が世代によってこうも違うのならば、そのボリューム、つまりは人口を確認しておいても良さそうだ。①1965年生まれ以前「日本の成長を知っており、自らも成功体験を持つ世代」。②1966年~1984年生まれ「日本が滑落していくことを第一印象として持った世代」。③1985年生まれ以降「日本はいつもダメダメでしたと感じている世代」。
①は約7000万人で、②は約3200万人で、③は約2500万人となる。誤解を恐れずに言うならば、①の世代は今の行き方で残りの人生をどうにか逃げ切ることができる。年金問題も懸念の種ではあるだろう。それでも、年金の存在すら危ぶまれている②や③の世代からすれば、現在の生き方でどうにかゴールできるのではないだろうか。
 

 資源も土地も人材も少ないシンガポールは、世界中から金融資産と会社と人を集める仕組みを整えつつある。法人税率の引き下げによる企業ヘッドクォーターの誘致やそれを支える24時間稼動可能なハブ空港の整備。法外な給与をオファーすることで、世界中のあらゆる分野のトップ人材を自国の研究機関へ招聘している。人材立国を目指した強かな戦略がそこにはある。
 日本の人口は確実に減少していく。為替や株価の予測。マーケットのポテンシャル推計。日々様々な予測数値が世の中を飛び交う。そうした予測値のほとんどは当たらない。予測に影響を及ぼす要因があまり多く複雑に絡み合っているためだ。
その中で人口推計は最もあたる予測のひとつである。これからの人口減少から現在の年金が破綻するのは明らかなのだ。
 何十年も前にくみ上げられた仕組みに固執する必要はない。いかにすばらしいものであったにせよ、これからの未来を見据えてもう一度最適な形に組みなおす必要がある。

 「この国を作り変えよう」(冨山和彦、松本大著)で非常に面白いアイデアが提言されている。20代の政治家、官僚、民間人による30年後の日本を考えて活動する組織「未来の内閣」というものだ。
 こうした組織が組みあがったとき、彼ら彼女らが考えることは、もう一度過去の影響を取り戻すことではない。彼ら彼女らにとって、世界に打って出ることは新たなスタートなのだ。かつて、1人あたりGDPランキングで1位となった国の形という面影はない。改めて、そして初めて、日本という国を世界の中で存在感のある、より良い国にしていこうという意欲だけなのだ。

 元気のある若者は数多く存在する。例えば、音力発電の代表取締役の速水 浩平さんだ。現在まだ26才だが、大学時代に次のような技術を開発した。音や振動を電気に変換するというものだ。高速道路の壁一面にこの装置をつければ、車が通る度に電力が蓄えられていく。高速道路の街頭の電力をそれで賄うことも可能だ。エコな世の中が求められている中で、これほど将来の発展が楽しみな技術はない。
 マザーハウスの代表山口絵理子さんも力強い事業を展開しておられる。バングラディッシュの紡績工場と提携して、途上国発の鞄ブランドを立ち上げようとしている。学生時代にバングラディッシュを旅して、失業率が40%を超える国の惨状を目の当たりにして始めた事業だという。
 日本の政治が、問題がある度にパッチワークをあてる対策を講じている間に、元気な20代が数多く現れ始めている。大企業という大きな組織に守られながら世界で大きな事業を展開しようとするのではなく、小さな小回りの効く集団として世界と戦っていく。ブランドを拠りどころとするのではなく、自らが何を成し遂げようとしているのかという、本質で勝負していく。未来を支えるのは紛れもなく若い世代だ。私もこうした世代に刺激されながら、30年後の日本という形を考えていきたい。

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