2012年8月7日火曜日

2.8 人は資料を読みたいように読む



 極たまに、いや会社によっては、結構な頻度で、次のような言葉を発する上司・同僚がいると思う。「今日の会議は何をする場だったのだろうか」。このような極めてプリミティブな発言である。
これは上司だけに問題があるわけではない。その上司に対して報告している部下にも問題がある。つまりは、意思決定させたい情報だけをつたえる報告資料ではなく、自分がいかにがんばったのかという情報を盛りだくさんに盛り込んだ報告資料とプレゼンテーションをしているためである。そして、上司は、まずはその盛りだくさんの情報を理解することに努力をするため、本来の目的意識が小さくなり、先の発言へと繋がるのである。
 人は受動的な立場で情報に接する時、次の3つの姿勢になりがちである。誤解を恐れずに言うならば、ほぼすべての人がこうした状態になる。

「人は資料を読みたいように読む」
「人は資料を知りたいところだけ読む」
「人は資料を都合の良いところだけ読む」

報告する人は、このことを肝に銘じる必要がある。誰しもがこう問われれば、そうだろうと肯定はする。しかしながら、誰しもがついつい忘れてしまっている姿勢なのである。
 認知科学者のロジャー・C・シャンクは言う。「観念的に言えば、人間は論理を理解するようにはできていない。人間は物語を理解するようにできているのだ」と。我々は報告資料を作りこむ際、ついつい論理展開が完璧かどうかを確認しがちである。データ分析による事実認識は完璧か、それに基づく分析によって得られる戦略や対策はどのようであるべきか。問題は構造化されているか。その構造化され細分化された問題は、基の問題のすべてを包含しているか。活用しているデータは、客観的に見て正しいものであるか。バイアスをかけずに公平な立場でも同じ結論になり得るか。
 こうした作業がまったくいらないというわけではない。むしろ当然のこととして追求するべき点である。ただ、報告によって、または資料によって、人を動かすためにはいくら完璧な分析であれ、いくら完璧な資料であれ、それが最終的な決定打にはならないということを理解しておく必要がある。
これは何も日本に限った話ではない。どのような国、民族においても、最後に判断するのは人間の心である。報告する相手が、これまで何を考え、どのような事実に反応するのか。最も慎重かつ準備を費やすべきポイントは、その人が今何を気にかけているかということである。その前には完璧な理論も霞む。強硬な反対意見を述べるかもしれない相手に対して、それを打ち負かすために用意する論理が完璧な分厚い資料。それは労多くして功少なしという結果になりがちである。
 今、ビジネスの現場ではほぼすべての人がパソコンをベースに仕事に従事している。パワーポイントによって報告資料を作ることも当たり前のこととして考えられている。プリントアウトもカラー印刷でも1分間に30枚、40枚と即座に印刷することが可能である。
この20年のコンピュータ技術の発展によって、より多くのことをより早く処理できるようになった。コンピュータの世界では、ムーアの法則というものがある。これはインテルの共同創業者であるゴードン・ムーアが提唱したもので、集積回路におけるトランジスタの集積密度は、1824ヶ月毎に倍になるというものである。つまりは、1年半か2年の間に処理速度が倍になることを差している。コンピュータが各職場や家庭に本格普及を始めて20年で、処理速度は1000倍以上になっていることとなる。
しかし、処理が早くなったのは、コンピュータだけである。これに対して、私たち人間の能力というものがこの20年でどれほど変化したことだろうか。2倍の処理速度を実現できている人はほんのわずかだろう。今、ビジネスの現場では、ほとんどすべての人が情報過多の状態にある。日々、膨大な量の情報に翻弄されながら生きているのである。
 今一度同じ事を繰り返すが、「人は資料を読みたいように読む」、「人は資料を知りたいところだけ読む」、「人は資料を都合の良いところだけ読む」。
これはつまり、膨大な情報に対する防衛手段とも捉えることができる。部長、事業部長ともなれば、毎週のように各所から事業の進捗報告を受ける。ほとんどすべての報告がパワーポイントによるプレゼンテーション資料か、エクセルを活用した様々なグラフが並んでいるものであろう。1週間の間に、目の前を流れていく資料は優に数百枚はくだらないだろう。それにも関わらず、報告する側は、理解されることが当たり前のこととして、数十枚にも及ぶ資料をわずかな時間でプレゼンしていく。その結果として意思決定を迫る。知りたいことだけに絞られた資料でない状態の中で、意思決定をするのは至難の業である。そうした膨大な情報に対処できる人間は、よほど速読術に長けた人だけであろう。
人は1分間の間に何文字読むことができるか。そういう質問をすれば、その答えの平均値はおおよそ400文字から600文字となるだろう。中には1000文字と答える人もいるかもしれないが、それは少数派だろう。このようなシンプルな問いかけをすれば、誰しもが常識的な範囲内の答えを返す。誰しもが速読は非常に高度なスキルであることを知っている。このことを考慮して今一度自分が作成した資料を読み返してみたとき、愕然とすることが多いだろう。発表時間に対して、その文字数の多さに。
説明を始める前、一旦自分の思考からどうにか切り離れたところから、こう問い直してみてはどうだろうか。もし相手が善意を持って聞くつもりがないとした場合、それでも読んでくれるものは何であるのかと。

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