2012年8月16日木曜日

6. 未来を切り開く思考の転換



本章では、これまで述べたことを、さらに高めていくためにはどうすればよいのか。そのための思考の転換を様々な角度から9点ほどまとめている。
これまでお会いしてきた方々との対話を通じて私なりの視点でまとめたものだ。今よりもより良い未来を切り開くための示唆を感じ取っていただければ幸いである。


 6.1  失敗と同居する覚悟

あらゆることに失敗はつきものだ。問題はどれくらいの確率で失敗するのかということをあらかじめ知っておくことである。どんなに成功している人でも、その裏側で多くの失敗を重ねている。例えば、イチロー選手はメジャーリーグで8年連続200本安打を放っている。しかしその裏側で、毎年400本以上も凡打に倒れている。競馬の武豊選手は3000勝という日本記録を保有している。しかし、イチロー選手と同じようにその裏側で1万回負けているのである。横綱の朝青龍は、勝ち続けることを義務付けられている。一場所で15番勝負。3回負けてしまうと横綱としての威厳を取りざたされる。負けないことを求められる。史上初の7冠を達成した羽生義治さんは1000勝達成するまでに373回負けている。一対一の真剣勝負において、大衆の前で300回負けることに耐える胆力とはどれほどのものであろうか。

物事を突き詰めていく際に、どれくらい負けるものであるのか。それを事前に察知しておくことは重要だ。上記で挙げたスポーツの場合は、それが把握しやすい特徴がある。野球で言えば、日本のプロ野球史上4割バッターは存在しないのである。打席に立ったとき、60%の確率で失敗しても良いのである。そういう気持ちで望めば幾分精神的な緊張は和らぐ。
ただし、それも当然ながら時と場合による。2009324日に行われたワールドベースボールクラシックにおける韓国との決勝戦。延長10回の表、同点の場面でランナーは2、3塁。バッターはイチロー。誰もが100%の確率でランナーを一人でも返してくれることをイチローに期待した。失敗しても良い確率とは、あくまで統計として捉えた場合だ。100回打席に立てば、60回は凡打でも許される。しかし、どうしてもヒットが欲しい打席である場合、スターであればあるほど、確実な結果が求められる。プロフェッショナルといえども、それでもやはり失敗してしまうのだ。           プロフェッショナルを突き詰めるには、如何に負けることに慣れることができるか。失敗することと同居するくらいの覚悟が必要となる。

私たちが普段取り組んでいるビジネスの世界は、どの程度失敗するものなのだろうか。良く新規事業は千三だと言われる。1000個の事業アイデアで、ものになるのは3つ程度という意味だ。しかし、これも正確な統計データがあるわけではない。
私の仕事は経営コンサルタントだ。戦略の立案や新規事業の立ち上げ支援、M&Aへのアドバイスにプライシング改革など多岐にわたる。当然この仕事にも失敗はつきものである。ただしここでいう失敗とは、相手のニーズを満たす内容のサービスを提供できなかったことを意味するのではない。本来コンサルティングを提供する目的は、なにかしらの意思決定に結びつけることである。失敗とは、求めた意思決定に結びつかなかった場合のことを指す。例えば新規事業の立ち上げを支援する仕事の場合、理想的なゴールは社長や担当役員から、その事業立ち上げのための投資の承認を得ることだ。もちろん、事業の領域として、または参入のタイミングとして適切でない場合は、投資をさせないという意思決定を得ることもゴールとなる。こうした仕事の場合、いったい何本に1本の割合で成功すれば良いのだろうか。どの程度の割合で失敗することを想定する必要があるのだろうか。
私たちが普段行っているプレゼンテーションは何回に1回勝てればいいのだろうか。社長を説得しようとする、役員を説得しようとする、部長を説得しようとする、顧客を納得させようとする、そうしたことは何回に1回成功すれば良いのだろうか。

失敗に対する付き合い方、失敗する確率の大きさというものを事前に把握することなく仕事に励んでいる人が多い。10回トライしてみて、1回成功したときに大きな喜びを感じることができる心、そうした思考の転換が必要となるだろう。
まったく同じことを逆の見方から説明すると次のようになる。9回トライしてみても、9回とも失敗しているときに、よしこの調子でこのままがんばっていこうと、果たして思うことができるだろうか。
2度や3度の失敗など物の数には入らないだろう。失敗したことは誇りに思うべきで、むしろ失敗の経験がないことのほうが悲しい事態だと思うべきなのだろう。できることばかり取り組んでいたのでは、人生何も変わりはしない。できるかどうかわからないことに挑戦するときこそ、大きな成長の機会があるのだ。
いくらこうした思考で望んだとしても、失敗したときは苦しいものだ。どのくらいの確率で失敗しても良いものか。それを事前に把握していたとする。結果として、負けた確率が想定の倍以上ということもあるだろう。自分が目指す姿、自分が達成したい夢と現在の自分との間のギャップに途方に暮れることもある。しかし、夢は苦しむために見るものではない。そこへ向かって一歩ずつ近づいている。そう感じて、わくわくするために見るものだ。今日の一歩はギャップを感じるために歩むのではない。確実に昨日より夢に近づけたと認識するための歩みなのだ。

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