2012年8月7日火曜日

2.2 伝えるべきは成果



 インドのある医薬品企業の経営会議で起こった出来事で次のような話がある。その企業は日本の中堅医薬品企業を買収した。買収以降、経営会議は英語の資料が用いられるようになった。日本を中心に展開していた企業にとってはそれだけでも大きい変化だった。
日本人の品質管理本部長が、その経営会議においてこの四半期の活動を報告する。その報告には、どういうことを取り組んだのか。それがどこまで進んだのか。本部内の中で、この活動に非常に貢献したのは誰のか。そうした内容が盛り込まれていた。報告を聞いた後、インド人のCEOはこう言葉を発した。
「あなたの本部がこの四半期に達成した具体的な成果は何なのです。売り上げ増にいくら貢献したのか。利益増にいくら貢献したのか。コスト削減にいくら貢献したのか。私はあなたが非常にがんばっておられることは知っています。毎日夜遅くまで、残っていることも知っています。そんなことは知っているんです。でも、私の会社には、頑張らない人間は必要ありません。すべての人に頑張ってもらわなければならないのです。そのうえで、私が聞きたいのは、成果です。数字でのみ表される成果です」
 
本当に必要な思考は、いかに意思決定しやすいように資料を構成するかということである。行った活動すべてをまとめると100ページを超える分量になるかもしれない。しかし、報告するべき内容、意思決定に必要な報告資料は1ページで済むのかもしれない。意思決定のためには、それに必要な情報のみを提供するだけでよいはずである。活動のなかで知りえたすべての情報を伝える必要はないのである。
 報告を聞かされる立場の人の中で起こる思考はこうである。ある問題を意思決定するならば、必要な情報はこれとこれである。そういう知識武装で報告会に望んでいるはずである。そういう意識で報告に望むゆえ、報告のプレゼンテーションの後の質疑応答で、自分が知りたいことを質問するのである。報告書に書いてあるか、書いてないかにかかわらず。同じ質問をする。自分が知りたい情報を、自分が知りたい角度の分析結果を知りたいのである。ゆえにそのことを質問する。
そうした質問がなく、分厚い報告書を懸命になって理解しようとしている場合がある。それは意思決定のために必要な情報が何かなのかをまだつかめていないことを意味する。
上司からの質問に対し、優秀な部下は、報告書にはまとめていなくとも即座に回答する。これまで散々考察してきた中に、その観点での分析は行っていたからだ。しかしながら、分析はしたものの、上司の質問にダイレクトに答える1枚は存在しない。報告書にはないが、部下が答えたことに上司は満足する。場合によっては、34ページのグラフと、62ページに書いてあることと、83ページの表を見てください、などと部下が答えることもあるだろう。この場合もやはり、上司の質問にダイレクトに答える1枚は存在しない。

人間は最終的に意思決定をするとき、膨大な量の情報をインプットとして行うことはできない。それほどの情報処理機能は備えていない。重大な意思決定をするのであれば、考えに考え抜いたポイントを3つなり5つなり挙げ、その結果如何によって、次に取るべき行動を決定するのである。
すばらしい分析を聞きたいのではない。ビジネスの現場では、如何にがんばってきたのかということを聴きたいのではない。意思決定をするために必要なことを聞きたいだけなのだ。成果を聞きたいだけなのだ。

目次に戻る

0 件のコメント: