2012年8月16日木曜日

6.2 「積極的に諦める」という挑戦



 何年か仕事に従事していれば、誰しもいくつかの勝ちパターンというものを見つけることだろう。こうすればうまくいく。この場合はこのやり方が一番効果的だ。これには常套手段としてこういうものがある。そう、いつものやり方だ。
 効果の高い有効な勝ちパターンを手に入れてしまった場合、どのような問題もどうにかそのパターンに帰着させようとしてしまう。問題を新たな手法で解決するよりも、問題を自分の勝ちパターンが成り立つように変換する方が簡単だからだ。しかし、その勝ちパターンに安穏としていては、成長は止まる。いつかのタイミングで、敢えてその勝ちパターンを封印する必要があると思う。敢えて逆境の中に身を置くのだ。
一時的に停滞したと思えるかもしれない。仕事の生産効率は下がるかもしれない。しかし、違うパターンを身に付けることができれば、自分の幅が広がる。対応できる仕事の幅が拡大する。

マリナーズのイチロー選手は言う。「今は、自分がわからないことや知らないことに遭遇するとき、お、自分はまだまだいけると思います」。
できないことを発見するとき。どうしようもないことと対面するとき。そういうときこそ、人は成長する。人には自己防衛本能がある。危機に直面してこそ身体は反応する。難題に直面してこそ、脳は反応する。

経営共創基盤の代表取締役兼CEOである冨山和彦さんは、「会社は頭から腐る」の中で次のようなことをおっしゃっている
「そこで私は大胆な提言をする。マネジメントエリートになる人間は、30歳で一度、全員、キャリアをリセットさせてはどうだろうか。全員、一度クビにしてしまう。役所も銀行も商社もメーカーも30歳でクビである。少なくともマネジメントを目指す人間は、自ら辞めるくらいでもいい。もちろん、会社に戻れる保証もない。」
盤石な状況を作り終えたら、その次はそれを捨てるような境遇に自分を置こうとしてみる。今持っているものを諦めて、新たなものを手に入れるという挑戦の中に身を置く。そういう覚悟が必要なのだろう。

ただ、毎日が負荷の連続では身体も心も持たない。例えば、この1年という時間は徹底的に自分を苛め抜いてみる。この1年は、敢えて自分を谷底に落とし込んでみる。「この1年は諦めてみる」と発想を変えてみるのも良いのではないか。
新しいことをやり始めるときは誰しもが不安を覚える。決心がつかないことも多々あるだろう。それは、他のことを諦めることができないから、迷うのだ。その同じ時間で、もっと別のことをするべきではないのか。2つのことを平行して行うほうが身のためなのではないか。諦めきれない心が迷いを生む。そういうときこそ、積極的に諦めてみるという気持ちが大事ではないだろうか。
ただし、例えば「1年という時間を諦める」というような時限的なものとする。1年追求してみる。失敗しても良いではないか。逆境の方が良いではないか。ずたずたになっても良いではないか。この1年だけは。そう諦めて、あらゆることに取り組んでみるのだ。

思えば受験勉強をしていたときも、私たちは諦めていたんではないだろうか。高校3年のときの1年間。受験勉強の優先順位を何よりもあげ、どうしようもないほど退屈な受験勉強に打ち込んだのではないか。
受験勉強ほどシンプルなものはない。テストの範囲は決められていて、どのようなテストなのかは過去問題からおおよその見当はつく。勉強の方法も確立されており、ただひたすら努力をすれば自ずと成果は見込まれる。目指すことは志望校への入学。得られる結果がはっきりとしている。やることがはっきりとしている。1年という時限的な期間である。だからこそ取り組めた。
社会の現場では、受験勉強のようなはっきりと輪郭が見える問題はない。解決策が体系化されているような問題はない。過去問題も存在しない。1年で必ず終わるという保障もない。立ち向かうものの輪郭が見えることは少ない。
しかし、その輪郭が見えないのはあなただけではない。私も誰しも、何者にも見えはしないのだ。だからこそ、自らの意思で諦めなければならない。自らの意思で、期限を区切らなければならない。積極的に諦めてみることで、今、自分が本当にやるべきことが何であるのか。その輪郭がようやくおぼろげながら見えてくるのではないだろうか。

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