2012年8月16日木曜日

6.7 何もない場所を知る



以前インドのプネーという都市を訪れたことがある。そこはソフトウェアのオフショア開発先として、インドでも指折りの都市だ。街中には規模は小さいものの、何百というソフトウェア会社が乱立している。そこでは欧米から受託したソフトウェアの開発が日々行われている。
そうした会社のひとつでソフトブリッジソリューションズという会社で非常に印象深い人に出会った。その会社の研修センター長であるシュレップさんという方だ。当時34歳の女性で、一児の母だ。
彼女は1994年から2004年まで日本のあるソフト会社に勤務していた。日本に滞在中に、日本でインド人と知り合い結婚した。2001年に日本で子供を産んだ。
彼女は子供が3歳になるタイミングでインドに戻ることを密かに決心していた。それはなぜか。彼女が言うには、日本はあまりにも豊か過ぎるというのである。停電することはない。最新の電化製品が安く買える。夜中でもふと食べ物が欲しいと思えば、5分も歩けばコンビニエンスストアに辿り着くことができる。日本の教育現場は、平等ばかりが先にたち、子供たちの生き抜くための意欲を削ぐことしかしていないように見える。
それに対して、インドはインフラがまだ整っていない。道路も整備されていない地域が大半だ。毎日のように停電する。インドの子供たちは、すべて明日のために必死になってがんばっている。インドの大人たちもそうだ。インドの教育制度も魅力的だ。子供は切磋琢磨して成長することが重要だ。日本にもインターナショナルスクールはあるが、そこでの教育は中途半端なものが多い。
日本のようにあらゆるものが、いつでも揃うような環境で育てた場合、そうした子供はインドではやっていけない。しかし、インドでやっていけるならば、世界のどこであれ通用するはずだ。だから敢えて物心がつく前のタイミング。3歳になるタイミングでインドに帰国しよう。そう決心したそうである。

私はその話を聞いて、身体の中を流れる血が熱くなるのを感じだ。インドの人口は現在11億3000万人ほどいる(2008年インド政府公表値)。そして驚くことに、1年齢の人口、つまり例えば現在20歳の人口が3000万人ほどいる(国際連合の統計より試算)。日本の30倍である。
そうしたインドの若者が、パッションを持って必死に這い上がろうとしている。インドの場合、3000万人の中から大学へ入学できるのはわずかに1%強の40万人だけだ。競争に競争を重ねて生き抜いてくる。サバイバルしていくのだ。

私は大学時代バックパッカーとして、アジアを始めとする30カ国程度の国を歩き回った。インドのデリーでは1泊500円ほどの、今考えるとよくそんなところに泊まったなと思えるような場所を転々としてきた。
私は帰国子女でもなければ、海外で長期間暮らした経験もない。それでも立ち寄ったレストランやバーで、地元の人たちに果敢に話しかけてきた。その国のことを尋ねるのだ。現地の言葉でなくてもいい。英語でいい。時には日本語でもいい。筆談でもいい。同じ人間だ。話は意外に通じるものだ。ただ2つ、現地の言葉で覚えておくべきものがある。「こんにちは」と「ありがとう」だ。そうすると、彼ら彼女らも日本のことを私に聞き始める。興味を覚え始めるのだ。円が重なり始める瞬間だ。

私はここでひとつ提言したい。日本の義務教育の中に1年間、インドなどのような発展途上国で過ごす教育プログラムを追加してはどうだろうか。中学校を4年生に変更して、中学2年生14歳くらいのときに1年間発展途上国に留学させる。電気も水道も整っていないようなところで必死になってがんばっている同世代の世界の子供たちと切磋琢磨させるのだ。
そこでの1年間の体験は、異文化の人間、異国の人間とのコミュニケーションをどのように図っていくのか。グローバリゼーションの中で、最も必要となるスキルの存在に気付くことができる。
何もない場所を知る。何もない場所に身を置き、それを体感する。打開しなければならないと心揺さぶられるものを見たとき、人は自然と行動を起こすと思う。

 すぐに実行可能な代替案もある。中学の3年間でNHKが製作したプロジェクトXを全話観賞するカリキュラムを取り入れるのだ。13時間の授業がいいだろう。最初の1時間で鑑賞し、続いて1時間クラス全員で議論するのだ。何が問題だったのか。何に感動したのか。自分が同じ立場になれば、どうするのか。徹底的に議論し合う。そして最後の1時間で、自分が感じたことやクラスで議論したことを原稿用紙にまとめるのだ。プロジェクトXには、何もない場所に身を置き、這い上がってきた日本人の英雄たちがいる。様々な業界、職業の現場に触れることができる。
 子供たちは、「がんばる」ための活力を手に入れる。がんばった先にある「希望」を見ることができる。様々な職業の現場を知ることで、将来つきたい「仕事」のことを考える幅が広がる。何もない時代があったことを知る。
 ゆとり教育から転換して、数時間授業を増やすくらいなら、このカリキュラムを取り入れてはどうだろうか。10年続ければ1000万人の若者全員が、かつて何もない時代から這い上がってきたすばらしい日本人の先輩たちの努力と成功を知るのである。それだけでも、未来の日本に光明が射してきそうな気がしてならない。

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