2012年8月9日木曜日

3.5 経営とは伝言ゲームである


  
以前経営共創基盤のマネージングディレクターをしておられる田中雅範さんにお会いしたとき、経営について面白い話を伺った。田中さんは台湾の医療器具ベンチャーの経営を経て、産業再生機構に参画。明成商会、宮崎交通にてハンズオン支援を行った経営のプロだ。田中さん曰く、「経営とは伝言ゲーム」であると。言いえて妙とはこのことだ。
 トップが自らの思いを語り、部長事業部長がそれを現場に伝える。事業の遂行がうまく行われているかどうか、それを確認するための会議が毎週のように行われる。それはまさに伝言ゲームの答えあわせのそれと酷似している。
テレビのクイズ番組などで、5人から10人程度の芸能人が並ぶ。一番目の人が司会者からお題を渡される。その題を表す絵を描くように指示される。2番目の人はその絵を見て、今回のお題を推測する。そして3番目の人に対して、絵の内容を説明する。もちろん、このとき4番目以降の人にはその言葉は聞こえない仕組みとなっている。3番目以降は、それを言葉で伝えていくのである。最終的に出てくる結果は、初めのお題とは似ても似つかない答えとなる。誰しもが「こうした伝言ゲームは伝わらない」という体験を持っていると思う。
 会社の経営とは100人、1000人を動かす仕事である。そこで行われているビジネスのほとんどすべては、伝言ゲームのようなものである。直接の対話で、伝言する場合もあれば、電子メールによって伝える場合もある。はたまた、パワーポイントの資料によって伝える場合もあるだろう。いずれにしても、あらゆる仕事はまさに伝言ゲームなのである。会議とは伝言ゲームの答え合わせをしているに過ぎない。
PDCAサイクルの真髄もまた、伝言ゲームがきちんと動いているかどうか、それを確認するという極めて地道な作業となる。故に、経営とは伝言ゲームをし続けることと捉えることができる。

 20093月に幻冬舎から「社長、曰く。」という本が出版された。未曾有の金融恐慌にも負けない日本の2500人の社長の言葉を収録したものだ。北は北海道から南は沖縄まで。全国47都道府県の様々な業種の社長にとっての、座右の銘を紹介している。何十人、何百人という社員の生活を、そして人生をしょって立って生きておられる社長たちの言葉だ。その言葉に行き着いたいきさつを想像すると思わず目頭が熱くなってしまう。この言葉たちの中で、特に多かったのが「凡事徹底」というものだ。2500人の社長の中で、座右の銘としてこの言葉を選んだ方が何人もおられた。あくまで愚直にただただ伝言ゲームを確認する。それを継続することが企業が存続・成長していくために最も確実な手段であり、必要なことなのだろう。この凡事という言葉からはそうしたことが染み出してくるようだ。

 ここにピカソのゲルニカ(戦争の悲惨と平和の尊さを描いた作品。ニューヨーク近代美術館所蔵)があるとする。これについて感想を10人の人が述べたとする。その感想は同じものであるだろうか。おそらく、ほとんどの人は同じものはないだろうと推測するはずである。そして、これは言葉や文章にも同じことが当てはまる。例えば、「当社は、今年度インターネット通販事業に注力する必要がある」という資料が配られたとき、それを読む社員の「解釈」というものは、先ほどのピカソのゲルニカを見た時に得られる感想と同じくらい、多様なものになる。
言葉は独り歩きをする。そして、解釈は各人の頭の中でぐるぐると回る。コミュニケーションを取る現場で最も必要なマインドセットとは、自分の発言は、自分の思惑通りには伝わらないということを肝に銘じることである。人間不信になれといっているのではない。人は、自分の理解したいように人の話を理解するのである。
皆さんは家計簿をつけているだろうか。今現在付けていない方でも、一度はつけようと思った方が多いはずだ。プライベートにおいて、一度は家計簿を付けてPDCAサイクルを回そうと思ったが、それがなかなかできない人が多い。それが現実であるのに、仕事ならば急に家計簿をつけるように予算管理ができるとはとても思えない。人間はそれほど自分を律することなどできないものだ。それができるのはごく一部の限られた人だけだ。ゆえに、経営とは愚直に日々、また毎週のようにPDCAサイクルを回し、伝言ゲームを結果を確認することなのだ。こうした確認作業(凡事)を徹底することが経営なのである。

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