2012年8月7日火曜日

2.3 プレゼンテーションによってできる円の重なり


  
プレゼンテーションによって醸成されるもの。それは2つの丸い円の重なりである。報告者が持っていた円と、報告を聞く側が持っていた円。プレゼンテーションを通じて、重なりが醸成される。その重なりは、プレゼンテーションの資料、プレゼンテーションの話そのもの、そして質疑応答の内容の3つが合わさって初めて形成されるものだ。どれかひとつが欠けてもいけない。
報告を聞く人が、意思決定をするために必要な情報が会議の場で得られたとしよう。それは報告者が気転を利かせた答えである場合もある。複数のページにまたがる分析結果による場合もあるだろう。こうした場合のときには注意が必要だ。その場にいた人は、意思決定に必要な条件が揃ったと認識しているからだ。
しかしそれをダイレクトに説明する資料は1枚もない。あるのは、会議参加者の間に漠然と充満した納得感だけだ。報告を契機に意思決定がなされた。その決定が社内を伝播していく。しかしながら、それに伴走する資料が存在しない。議事録には、決定事項が記述されている。そのため、その決定だけが一人歩きしていく。
その報告の場では、確かに2つの円に重なりが生まれた。その結果として、意思決定がなされた。それは大きな成果である。しかし、その重なりを端的に表すものが存在しない。重なりは資料とプレゼンテーションと質疑応答を統合したものから成り立っている。意思決定という事実は広く知れ渡る。会社の中の多くの人にとっては、まったく重なる円がないまま、意思決定がなされた格好となる。こうしたことが続けば会社はバラバラとなる。
何かを意思決定しようとするときに必要なことは、意思決定する側と、その影響を及ぼされる側との間でいかに円の重なりを作ることが出来るかにかかっている。数百人、数千人の人間にその意思決定が及ぶときには、最大公約数でも構わない。少しでも大きい円の重なりを作り出す必要がある。その重なりが、ぶれない経営のよりどころとなるはずだ。

現在ボストンコンサルティンググループのマネージングディレクターである秋池玲子さんはこのように言っている。「人の上に立つリーダーは、言葉を上手に使う必要がある。概念が行動に結びつくような言葉を見つけ、その1つの言葉からいくつものアイデアや行動が生まれるような工夫をする」。
秋池さんは産業再生機構時代に、九州産業交通に取締役として参画した。着任後2年で、当社は再生を果たすのだがそこで最も重視したのが良好なコミュニケーションだという。改革への反対派の意見の中にも、耳を傾ければ意外と優れたアイデアが埋もれているとのことだ。人が集団を形成して一致団結して動いていくためには、円の重なりを作らなければ何も始まらない。
通常、人は自分の頭の中しか見えない。他人の考えなど、わかるようでいて、その実まったくわかっていないのが常だ。よく「あいつのことは、俺はよくわかるんだ」と言う人がいる。そういう発言をする人に限って、自分のことを理解している人間などこの世には存在しないなどと思っていたりする。
多くの人と円の重なりを作り出すことを実現するためには、自分を客観視する必要がある。いつかの総理大臣は、私は自分を客観的に見ることができるんですとおっしゃっていたが、まさにそれが重要なのである。
相対性理論を確立したかのアルバート・アインシュタインはこんな言葉を残している。
「ある人の価値は、何よりも、その人がどれくらい自分自身から開放されているかということによって決まる」

いかに自分自身の思惑から解放された、相手の立場になることができるか。10あるうちの9くらいを相手のことを考えて、相手の気持ちを組み入れて受け入れる。そうして初めて自分が言いたいことの1が伝わる。自分が何をしたいのかではなく、相手が何をされたいのか。御用聞きの立場になることが重要だ。

 人は利己的であろうとすると、その途端考えられる領域が、その利己的たらんとする自分という土台の上の一部分しか占めることが出来なくなる。その意味で、いかに開放した位置に自分という存在、自分という感情の文脈を置くことが出来るか。そうすることで、一個人としての自己の限界を越え、あたかも複数の自己から成り立つものとしての立場に立つことが出来るのではないか。
 人の上に立つものとして、最後によりどころとするものは、「言葉」である。
会社の代表にしろ、大統領にしろ、そして親にしろ、発する言葉は各人によって解釈され、各人の利己的な部分に吸い込まれていく。
こうした場合、何が重要となるのか。自分が伝えたいと思うことを、いかに正確に、いかにすばらしい表現で伝えるかということに固執する利己的な考えでは、何も伝わらなければ、何もそこから派生して生まれることはない。
 相手に気づいてもらいたいことを、相手が気づくようにするためには、どのような言葉を選ぶべきか。自分自身を解放し、利他的に自らの思考を置くことで、ようやくその言葉を見出しうることが出来るだろう。そして、その言葉は、それを聴いた多くの人々の利己的な文脈の中で租借され、拡大され、成長していく。
 自分自身を解放したその高みに、自分という限界を超えた大きな波を作り出す力というものを手に入れる高台があるのではないだろうか。

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