2012年8月7日火曜日

1.3 日常に見える2つの円


2つの円の話をもっと日常生活に当てはめてみると面白いことがわかる。例えば、夫婦が食卓でトンカツの夕食を楽しんでいる場面を想像してほしい。夫は、「あれ取って」と妻に語りかける。テーブルの上には、トンカツソース、ケチャップ、マヨネーズ、ポン酢が並んでいる。はいという言葉とともに、妻は迷わずポン酢を夫に渡す。夫は受け取ったポン酢をトンカツにかける。
平均的な人(あくまで最も多い意見という意味合いで)ならば、おそらく4つの中からソースを取ってもらうことを期待することだと思う。一歩譲ってケチャップなのではないかと思う。これはこの夫婦の間の2つの円が、「トンカツにはポン酢をかけて食べることが常識」という夫の考えまでもが、重なり合う部分に存在するまでになっていることを意味する。
結婚し始めた当初や付き合い始めたころは、ポン酢をトンカツにかけることは当然重なり合わない円の中にあったことだと思う。日常生活を重ねていく中で、そうした重なり合わない場所に存在した事柄が、重なり合う場所へと移動していったわけである。

親と子供というものも、なかなか円の重なりを見出すことが難しいものだと思う。タレントの島田紳介さんは、「親」というものについて非常に面白い話をしておられた。中学生になった子供との会話で語った話だそうである。子供があることについて反発し、紳介さんが反対しても言うことを聞かないような場面で出てきた言葉だ。

「いいか。俺は親としてはあんまりいけてないかもしれん。未熟なこともたくさんある。アホなこともぎょうさんゆうてる。だからな、親の俺の言うことを信用でけへんお前の気持ちもようわかる。でもな、俺はお前と違って一回子供はやってんねん。子供は経験したことあんねん。だから、まだ子供であるおまえの気持ちはようわかんねん。やりたい気持ちもようわかる。でもな、1回子供経験した俺が言うねん。それは辞めとけ。やらんほうがいい」

 親である役割と、子供であることとの間に円の重なりを見出すことは難しい。しかし、すべての親は昔子供だった。確実に。自分がもう一度子供として同じ場面に遭遇すれば、やることとやるべきでないことは判断できる。親と子供の円が重なった瞬間ではないだろうか。

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