2012年8月13日月曜日

5.2 対話のすすめ

何も本だけがインプットの役割を果たすわけではない。人との会話の中でも同じことが起こる。こういう経験を持っている人は多いだろう。「いやぁ、今日の飲み会の山田部長の話は面白かったな。いい話を聞かせてもらった」
会社の送別会や打ち上げなどの飲み会の帰りの電車の中で、こうした話題に同僚と花をさかせた経験がある人は多いと思う。
その1週間後、その「いい話」をあなたは覚えているだろうか。いやその翌日でもいい。その話をあなたは覚えているだろうか。こうしたことについても100人の中で明確に覚えている人は2、3人だけだろう。覚えておくべきことは2つある。その部長が語った言葉を一言一句覚えておくことと、それを聞くことによって、自分の中で何が変わったのか、何に感銘を受けたのかということである。
平均な人の場合、1つ目の部長の言葉を漠然となら繰り返すことができるだろう。それに対して意外にも、その部長の言葉を聴くことによって自分の中で何が変わったのか。自分にどういった気付きを与えてくれたのか。なぜ自分はその言葉を「いい話」だったと思ったのか。その話を聞いて、頭の中でどういう感想を持ったのか。さらにはそれをどのような言葉を活用して言語化したのか。その肝心なことを忘れてしまっている人が非常に多いのではないだろうか。
そういう私はどうかというと、何もしなければ確実に忘れてしまう。どんなに良い話と思ったとしても、何もしなければ確実に忘れてしまう。人間とはそうしたものである。良い話を聞いたということは覚えている。それによって感動したことも覚えている。それが後から思い出してみると、そのとき感じた感動が思い出せない。なぜそれほど自分が感じ入ったのかを思い出せない。それは一度経験したことだからではない。なぜそこまで感動したのかということを正確に思い出せないのだ。
これに対する私の対処法は、いつもメモを残すことである。帰りのタクシーや電車の中、自宅についてからでもいい。その日に出会った印象に残った言葉を書き残すのである。私はスケジュール帳を活用している。私は普段の仕事のスケジュールはすべてパソコンでオンラインで管理している。そのため私のスケジュール帳には予定は一切書いていない。その代わりにその日に出会った人たちから得られた言葉を書き残しているのである。その日に読んだ本や記事の中から印象的なものを書き残しているのである。
その際に重要なのが前述の2点を書き残すことである。1点目は、心に突き刺さった言葉そのものを書くということ。もう1点は、それによって自分は何を得たのか、なぜそれが心に刺さったのか。そういうことを書くのだ。
毎日たった2文でいい。このたった2文を1年続けるだけで、それをする人としない人との間の心の成長は5年ほどの差がつくのではないだろうか。私はそう信じているし、そう実感もしている。
先に紹介した「社長、曰く。」の書籍の中で、もう1つ印象に残った言葉がある。吾以外皆師也(または、我以外皆我師也)というものだ。出会う人すべてに何かしら学ぶものがあるというものだ。この言葉は、吉川英治さんによる造語とされている。吉川さんの「新書太閤記」に次のような一説がある。「秀吉は、卑賤に生れ、逆境に育ち、特に学問する時とか教養に暮らす時などは持たなかったために、常に、接する者から必ず何か一事を学び取るということを忘れない習性を備えていた。だから、彼が学んだ人は、ひとり信長ばかりでない。どんな凡下な者でも、つまらなそうな人間からでも、彼は、その者から、自分より勝る何事かを見出して、そしてそれをわがものとして来た。」何事からも学び取る貪欲さと、何者にも学ぶものはあるという謙虚さの大事さを謡った言葉である。
美の巨匠岡本太郎はかつてこういった「計画を実行したければ、元旦にスタートを置くなんていう手ぬるいんじゃなく、毎朝にスタート・ラインを引くべきだな」一日一日を生きていく中で、その24時間に意味と意義を見出すとき、毎日2つの文が積みあがっていくことはなんとすばらしいことではないだろうか。

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