2012年8月16日木曜日

6.9 根拠のない未来志向



若者は3年で会社を辞める。無気力、無関心、そうした指摘が数多くなされている。金融恐慌のさなか、「派遣切り」の名のもとに、大リストラを断行した大企業。20093月期の決算結果は、軒並み赤字。その対応として、工場閉鎖などの構造改革を断行。派遣にとどまらず、何万人もの正社員も解雇の憂き目にあった。その余波をうけたのは、何年も働いた社会人だけではない。内定をもらっていた大学生にも飛び火した。
新聞を見れば、減益過去最大、政治資金の無駄金、このままでは日本はどうなるのか。とにもかくにもネガティブワードの乱舞である。テレビ、新聞、雑誌、あらゆるメディア媒体が、これでもか、と危機を喧伝している。いつの間にか、世の人々の心に、未来には絶望しかないというような闇を植え付けてしまっているのではないだろうか。

3年ほど前になる。とあるセミナーで株式会社ヤッパの伊藤社長の講演を聞いたことがある。伊藤さんは若干17歳で起業した逸材である。当時高校生社長として話題となった。
私が講演を聴いたときで23歳の若者だった。起業して6年、様々な修羅場を潜ってきたことが話の節々から感じられた。そんな23歳の若者の口からでたリーダーシップ論は次の6つであるという。
一つ目はPressure makes Diamondsである。逆境は成長の糧。私も好きな言葉の一つだ。伊藤さん曰く、自分を常に律することなどできる人はいない。逆境に立たなければ、何も生み出されることはないということだ。
二つ目は、明確なビジョン、目的、そして敵を持つこと。ただし、ここで重要なのはビジョンや目的や敵を持つことなのではなく、「明確なもの」を持つことだという。そしてそれを相互理解することが重要だという。
三つ目はパッション。これはパッションを持ってとことん語り合うことをヤッパでは重視しているとのこと。時にいがみ合ってでも、お互いがぶつかり合うことが重要だと。明快であることは必要条件であり、それにパッションが伴ってこそ、相手に伝わる。パッションは十分条件といえるのかもしれない。
四つ目は常識にとらわれない吸引力だという。この説明に際して、伊藤さんは面白い例えをしておられた。例えばソックス。毎朝ソックスを履くときに、足は新たな繊維質に触れる。足の細胞ひとつひとつが、それを感知しているはずである。にもかかわらず、数分後には、ソックスを履いていることすら忘れてしまう。
同じようにフランスのとある街並み。石畳の道路に感動する。芸術作品のようなドアノブに感動する。通りすがりのフランス人にその感動を伝えても、理解はしてもらえない。フランス人にとって、道路とは石畳でてきているものなのだ。フランス人にとって、ドアノブとは彫刻のような芸術作品のつくりなのだ。
人は知らず知らずのうちに、常識という枠組みを作ってしまっている。無意識のうちに周りの95%の環境を、ある種の常識として、知覚しないようにしている。逆にそうしなければ、毎日を生きていくことは刺激が多すぎる。
朝起きてから夜風呂に入るまで、ソックスを履いていることに違和感を覚え続ければ、ろくに仕事に集中できなくなる恐れがある。あらゆることが刺激の連続となってしまっては、赤ん坊と同じ状態となる。
何事にも吸引力を持って臨む必要がある。そうすることで、物事の見えなかった側面に気付くことが可能となるからだ。一日一度は履いているソックスのことを思い出してみるのも面白い。
五つ目は勘であり運であり根(コン)である。運が良い人は、実は勘が良い。勘が良い人は、実は日ごろから根気良く、何事にも諦めずに挑戦し続けている。だから人からみると勘が偶発的に働いたように見える。人から見ると、その機会を運良くつかんだように見える。しかし、粘り強く、根気良く何事にも望んでいたからこそ、その運はやってくる。
最後の六つ目は、根拠の無い自信だという。強いリーダーシップを発揮する人は、根拠の無い自信や信念のようなもので人を引っ張っていく。その根底には終わるまで何もわからない、そういう思想がある。そして根拠がないからその自信はそうそう崩れない。諦めることがない。

 
先日「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画を見た。2005年の映画で、監督は山崎貴さん、主演は吉岡秀隆さん、堤真一さんで高度経済成長下の1958年の東京の下町を舞台にした映画だ。東京タワーはまだ建造中という段階だ。どの家にもテレビがあるわけではない。全自動洗濯機もあるわけではない。車も持っていない人のほうが多かった時代。でも、人々の目は輝き、未来には希望しかなかった。そんな時代を描いた映画だ。その時代、21世紀は車が空を飛んでいると子供たちは本気で信じていた。
その映画の一節で、脳天を勝ち割られるような心洗われる場面がある。堤真一さん演じるスズキオート社長の鈴木さんが、ボロボロの三輪オートを運転しながら、こう言うのである。

「東京タワーができたら、世界一の高さになるんだっ。俺はこのスズキオートをゆくゆくは、アジア、いや世界に展開するんだ。そうなる。その自信がある」

ちなみにこのときスズキオートという会社は、木造2階建ての自宅兼事務所の1階で、車の修理を専門に請け負っているとても小さな会社だ。社員は10代の女性が一人という状態だ。
この気持ちを一言で表すならば、「根拠のない未来志向」である。根拠がなくってなにがいけない。ただただ、未来に希望を持って生きること。それこそが最も大事なことであり、最も大事にするべきことでもある。

そして今、日本の若者たちにとって、最も欠けていることなのかもしれない。いや、若者たちに限らず、30代、40代、50代、そして団塊の世代の60代すべての世代でそれは言えるのかもしれない。
一人でできることはたかが知れている。しかし百人、千人が集まればそれはうねりとなって、とてつもなく大きな力となる。日本には強い会社がたくさん存在する。日本は優秀な人材の宝庫である。ただ、それをうまく生かしきれていない人がいる。効率化されていない会社がある。本来持つポテンシャルは現状の2倍も3倍も大きいものなのではないだろうか。

もっとこの国は発展していくことができる。その大きな力を引き出すために、まず必要なのは、コミュニケーションである。それぞれの人にはそれぞれの円がある。それぞれの会社にはそれぞれの円がある。それぞれの国にはそれぞれの円がある。円と円の重なりを見つけよう。重なり合っていない部分を察知しよう。重なり合わない違いがあることを感じ取ろう。

違いを理解したうえで、どう伝えればよいのだろうか。人は人の話を聞きたいように聞く。人は人の資料を読みたいように読む。なぜそうなってしまうのか。お互いの違いを理解するために、聞いてくれる相手のハシゴを下に降りていこう。どういう分析を相手はしているのか。どういう情報を相手は選んだのか。そもそもどういう情報を相手は持っているのか。それぞれの段階で大きな違いがあることを発見できるだろう。ただ違いがあることに愕然とする必要はない。むしろ、違いがあることを共有できたことは伝わるための第一歩なのだ。

伝えたつもりが伝わらない。なぜ度々そういう場面に出くわすのだろうか。そういう場合は、聞いてくれる相手にとっての、インセンティブを考え抜くことからはじめよう。決して分析をもっとすごいものにする必要はない。決して資料の論理展開を完璧にしあげる必要はない。決してプレゼンテーションをもっとすばらしい言葉に代える必要はない。”Walk the talk”。ただその人に会いに行くのだ。その人と、とことん話し合うだけでよいのだ。

そもそも共通認識ができているのだろうか。誰もがいまさら言えないことを、言う必要があるときがある。共通認識のずれは、後に大きな違いを産んでしまう。共通認識が完全に同じになる必要はない。どれほどの違いがあるのかということを把握していれば良いのだ。

読書を通して、作者の魂の言葉を削り取っていく。様々な人との対話から生きた言葉を奪っていく。そうしたものを模倣することで、自らの考えと発言に深みを加えていく。ウェブ脳へとシフトしながら、様々なことがらを五月雨式に発想していき、言おうとすること、やろうとすることを想いに想い、考えに考える。時には言葉に出来ないもどかしさを心地よさとして受け止め、また想いに想い、考えに考えていく。

失敗を受け入れる。どの程度失敗するものなのかということを、事前に把握しておく。他を諦めることで、初めて挑戦できるものがある。解決しようとすることには答えがない。答えがないまま歩き続けるという気持ち悪さをコントロールすることも必要だ。1歳年齢が違えば、価値観や考え方はまったく違う。同世代でもそうしたことは度々起こるだろう。ウェブを通して、考えを発信しあい、むやみな批評をすることなく、より良い未来を力を合わせて作り出していく。そういう心持で人と接していこう。

世界を旅する。様々な国を訪れ、様々な人と出会い、多様な価値観や生活レベルが存在することに気付こう。自分は何をする者なのか。自分の存在意義とは何なのか。時には無駄に思える時期もあるだろう。何も成長していないと思えるときもあるだろう。それでもいいのだ。そうしたときにも、必ず進化しているところがある。それに気がついていないだけだ。

長渕剛さんの歌に“Captain of the Ship”というものがある。生きるということを激烈に歌った13分にも及ぶ大作だ。その歌の一節に次のような歌詞がある。
「明日からお前が舵を取れ 生きる意味を探しに行こう 馬鹿馬鹿しい幻に惑わされる事なく ただただ前へ突き進めばいい 今すぐ 白い帆を高く上げ」

 組織に属してしまうと、そこに埋没してしまいがちなときがある。今、自分は本当の意味で舵を握っていることはあるだろうか。舵を握れと言われることを待っていたりはしないだろうか。結果は後からついてくる。根拠がなくても良い。未来志向で生きていこう。誰もが必死に生きていく中で、言葉にはできないものの気付いているはずだ。本書で述べたような思考の転換が必要だということを。
すべての人には未来を切り開く力がある。未来をより良くできる可能性がある。私はその可能性に目がくらむ。今、思考を転換しよう。未来を切り開くために。

2009年3月 小林慎和 都内某所のカフェにて

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