2012年8月7日火曜日

2.5 1分の化学式



 物事を伝えようとするときに、どのような言葉を選ぶべきなのだろうか。その目安となるのは、自分の記憶力だ。どういう一言であれば、自分は覚えるだろうか。どういう話であれば、1週間後も覚えているだろうか。自分が覚えられないような話題を、赤の他人が親切に覚え続けてくれようはずもない。この言葉は明日も覚えていそうかどうか。それが大きな基準となる。

 以前私は新卒採用の面接官をしていたことがある。30分形式の11の面接で、朝の9時から19時まで。1日に多いときで12人の学生を面接する。経営コンサルタントを目指す学生の中の多くは、どうすればコミュニケーション能力を身に着けることができるのかということに関心がある。経営コンサルタントを目指す書籍などにも、押しなべて必要なスキルはコミュニケーション能力とロジカルシンキングだと喧伝されているのも影響しているのだろう。
 そういう質問を受けたとき、私は必ず1つの化学式の話を持ち出す。

ABC

というものだ。これは、Aという現象とBという現象が起これば、次にCという現象が起こると解釈できる。
見方を変えれば、Aという人材がBという戦略を持ってビジネスを実行に移せば、Cという利益が得られると読むことも可能だ。
 おおよそすべての物事にはこうした因果関係が成立する。もちろん、わけもわからずいきなり癇癪を起こす人もいたりして、困ることもあるのが社会ではあるのだが。いずれにしても、そういう例外を除いて、因果関係というものは存在する。
コミュニケーションの能力を高める第一歩は、話そうとする内容をこのようなシンプルな化学式の形に落とし込むことだ。何と何をもって、結論を述べようとしているのか。たいていの物事はこのシンプルな化学式に帰着できる。新聞で読んだ記事の内容、テレビのニュース番組の内容、昨日先輩が言っていたこと、先週のミーティングでお客さんが言っていたこと、先月観た映画の内容。それらを逐一この形に落とし込んでみることだ。
 訓練をしていない場合、この単純な作業が意外に難しい。よく陥りがちなのが、A+BCDXYZなどのように物事を複雑にしてしまうことだ。物事が複雑なのではない。それは誤解である。物事の本質を見極められていないから、そういう複雑な化学式となる。
中には聞いた話を、忠実に再現すればこういう複雑な化学式になる場合もあるだろう。ただし、その場合、話している当の本人もこうした複雑な化学式を意図して話しているかというと、そうでもない場合が多い。こうした複雑な話に出くわしたとき、あなたの話はABCということでしょうか。そう逆に問い返してみるのもいいだろう。案外目から鱗が落ちたように、その通りですと返答してくれる場合が多い。
 何回も述べているが、人間はそれほど便利にできてはいない。人間の処理能力はそれほど高くはない。A+BCDXYと説明されるよりは、次のように説明された方がずっと頭に残るはずである。A+BXです。そして、C+DYも起こります。すうっと頭に入ってくる。”Simple is the best”という諺が英語にはあるが、これほど言いえて妙な言葉はない。

 続いて、コミュニケーションを磨くためには、このA+BCという化学式を1分で説明する訓練を積むことである。新聞の朝刊の一面記事でもいい。その記事をA+BCというシンプルな構造に帰着させ、それを1分間で説明することを練習するのである。1分というのは、10秒だとか、だらだらと5分かけてという意味ではない。1分という限られた時間をフルに活用して、要点をすべて盛り込み、簡潔かつ明瞭に説明するのである。
 1分という時間の中で、人は何文字話すことができるかご存知だろうか。平均的なスピードの人でだいたい300文字である。
報道番組などを見ていると、こういう場面をたまに目にする。次のテレビコマーシャルの間まで5秒から10秒時間が余っている場面だ。そういう場合、ベテランのニュースキャスターは絶妙な締めの一言を言ってのける。10秒の場合50文字で、5秒の場合はわずか25文字だ。50文字と言えば、次のようなごく短い言葉である。
「米国は抜本的な改革を即座に実行に移しました。今、国民の皆さんが日本に求めていることも、如何に早期に対応するかどうか。そういうことなのではないでしょうか」(51音)
 プロのアナウンサーのように、ここまでとっさの気の効いた一言を日常的に求めることは酷である。ただ、どのような話題であれ1分で話しきる訓練を積むことは、社会の現場では非常に役に立つ。

私は以前テレビ東京のクロージングベル(2008年9月に放送終了)にコメンテーターとして出演したことがある。アメリカのマイクロソフトがYahoo!に買収をしかけていたときのことだ。その背景説明と、マイクロソフトの狙いについてコメントを求められた。そこでgoogleの検索技術の特徴について説明する際に、次のような言葉を用いた。「googleの検索技術は、他のサイトからの接続(リンク)が多い順に表示してくれるので、消費者の嗜好に合った結果が得られやすい」
一般の人でもわかる内容で、かつgoogleの技術に対して誤解のないレベルの内容を盛り込んだ結果出てきた言葉だ。それに対して、キャスターの末武里佳子さんは、「つまり、人気投票順に表示するということでしょうか」と合いの手を入れてきた。私は、一般の人に向かって話しているつもりで、実は目の前の末武さんを見て話をしていたようだ。末武さんは明らかにテレビの前の視聴者数百万人を見ていた。本当にわかり易い一言とはこういうことかと感銘を受けたことを覚えている。
一言ならどう説明するのか。5分を費やして、起承転結を交えてならば、どう説明するのか。様々な時間のバリエーションで試してみるのも効果的である。ただ毎朝新聞を流し読みしているだけでは何の訓練にもならない。人の脳というのは、クリエイティブな作業を始めるときにはじめて活性化する。受動的に文字を読むことだけでは、脳は活性化しない。
毎日たった1つの記事について、次の3つのことを頭に思い浮かべるだけでいい。
   この記事を1分で説明するとしたらどうか。
   この記事を一言で言い表すとしたら、どのような言葉になるか。
   この記事を5分間費やして、ストーリーを持って説明するとしたらどのようになるか。

この3パターンを考えるのに必要な時間は10分もかからないだろう。1日このたった10分の訓練を行うかどうかで、コミュニケーション能力は半年もすれば大きく変わる。
 この訓練法はこれでは終わらない。思い通りに進まないのが世の中というものである。どのような記事であれ、話であれ、A+BCという構造に帰着して1分間で説明できる自信がついたとしよう。その次は、私はこのようなことを想像する。
A+BCという化学式は温度が1000℃のときも同じことが起きるだろうか。A+B+イのように、まったく種類の異なる物事が追加されたときは、何が起きるのだろうか。つまりは、常に突飛な物事が合わさって起きたときのことを想像することが重要だということだ。
 例えば先の例文のような状況のときに、関東一円が大規模地震に見舞われたときには、どう変わるだろうか。米国の改革の裏側で、やみ献金事件が明るみになった場合にはどう変わるだろうか。
私はいつも新聞や雑誌の記事を読むとき、人の話を聞くときにこうしたことを考えている。1分間でどう説明しよう。一言でどう言い表そう。突飛なことが起きた場合は、言い表す一言を変えるべきだろうか。変えないべきだろうか。
 こういうことを考えながら、情報というものを能動的に吸収していく。能動的に吸収すれば、情報の記憶はより確かなものになる。コミュニケーション能力を磨くと同時に、様々なビジネス関連の情報を記憶することにも役立つのである。
さらにこの考えに、2つの円を意識するとより効果的なものとなる。つまりある記事をABCという構造で1分間で説明した内容というものは、おそらく2人の人の間の2つの円でいうと、重なり合う部分に相当するだろう。 
なぜなら、記事の内容を的確に構造化して、それを簡潔に説明しているはずだからだ。その説明は最も理解がしやすい、重なり合う部分とならねばならない。むしろ、重なり合わない意識の中に存在するのだとすれば、それはその1分間の説明というものが要点を得ていないと考えるほうが自然である。
 ここで、もう一度立ち戻って欲しい。あなたはどのような話であれば、記憶に残るであろうか。新聞の一面をわかりやすく説明した1分間の演説を、あなたは覚えるだろうか。例え、今日これから飲みに行ったとしても、明日の朝にその1分間の演説の内容を記憶しているだろうか。おそらく答えはNOだ。ストレートにABCという構造のみを的確に表現した言葉の場合、そこには驚きがない。話の内容が話す側と聞く側の重なり合う部分でのみ展開されているためだ。その重なり合う部分から如何に裏切ることができるか。その見せ方が重要なのである。

 A+BC´

導かれる結論に対して、自分なりの意見を盛り込みアクセントをつける。その些細なアクセント、常識から少し外れたアクセント、それが人の記憶に残る言葉となる。

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