2012年8月16日木曜日

6.5 ジェネレーションバレー



ジェネレーションギャップという言葉は聞いたことがあるだろう。世代間で意識や常識、そして言葉などの違いを表したものだ。1995年以降、ウェブの急速な普及によって、世代間に跨る差は、ギャップなどという生易しいものではなくなったのではないだろうか。そこには深い谷、バレーが存在する。
昔なら10年で一人前。そういう認識が、ある種常識的な捉え方だったのではないだろうか。10年働いて、ようやく会社のことが見えてくる。ようやく業界のことが見えてくる。ようやく独り立ちできる。
しかし、21世紀以降に働き始めた若者たちにとって、10年という時間はあまりにも長すぎる。彼ら彼女らは5年、短い場合3年で一人前になれると感じている。一人前になったと思い込んでいる。
この違いはどこから来るのだろうか。それはウェブを活用する姿勢だと思う。若い世代はだれもが自然とウェブ脳を身につけている。ウェブ上にある膨大な自分の知らない情報を、知らないとは思っていない。それはそこに確実にあるもので、引き出そうと思えば引き出せる。自分の能力の内だと捉えている。
古い世代は、暗記して初めて自分の知識といえると考えてきた。これからのジェネレーションにとって、知識は自分の脳から引き出すものではなく、ウェブ脳のどこかに存在するだろうというものへと変質しているのである。
このように、ウェブに対する接し方がジェネレーションの間でどうしようもないほどの違いを生み出している。
想像してみて欲しい。数分でハイクオリティの映画がダウンロードできる環境が当たり前だと思っている若者がいることを。携帯電話ですら、動画をダウンロードできることが当たり前だと思っている若者がいることを。ウェブの接続速度が遅いと感じたことがない世代がいることを。自分が知らないことは、検索キーワードをいくつか入力する。検索結果を100ほど拾い読みする。そうすることで、おおよそのことが把握できたと思っている世代がいることを。
ウェブ上に蓄積されている情報は信頼性が低い。ウェブ上の情報ばかりを当てにしてはならない。そういう警笛を鳴らす大人も多い。しかし、公表されている情報の真偽のほどがわからないのは、何もウェブだけではない。
毎週発売される週刊誌など、話題を呼ぶために幾分、いやかなり誇張された記事となっている。私たちはそうした情報に接する場合、話半分という姿勢で臨んできたではないか。
今の若い世代は、ウェブ上で公開されている情報の真偽の程が疑わしいことは、40代以上の中年以降の世代に比べてはるかに認識している。彼ら彼女らの方がよほどウェブ上の情報との付き合い方を心得ている。
単なる知識という面でなら、1年で専門家並みのものを手に入れることができる。それも超効率的に。
 たとえ1年でも年齢が違う人と、コミュニケーションを図るときや、共通認識を醸成しようとするときには、その間に横たわるジェネレーションバレーを常に意識する必要が出てくるだろう。特に自分よりも若い世代と相対するときはなおさらだ。
10年一昔。それは20世紀の言葉である。ウェブ脳を持つことがあたりまえのこととして成長してきたこれからの若者にとっては、1年一昔。それくらいの違いが存在する可能性があると考えて望んでいく必要がある。

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