2012年8月16日木曜日

6.4 アウトプット志向で生きていく



もっとアウトプット志向で生きてみるのはどうだろうか。これまで決してそうではなかったわけではない人も多いだろう。日記を毎日つけている、そういう人も多いはずだ。これまでと違うのは「アウトプット」という言葉の定義だ。
 「アウトプット」というと、どうも「良くできたもの」、「すばらしいこと」、「公表すべきこと」などたいそうなもののように受け取られがちである。しかし、ここでいうアウトプットとは、それぞれの生きた足跡である。痕跡である。どんなことだっていい。どんな些細な事だっていい。どんな幼稚なことだっていい。それをウェブ上のデジタル情報としてのアウトプットとしてどんどん保存してはどうだろうか。
今日本にはブログを開設している人が1500万人ほどいる。ただ残念ながら、その中で毎日ブログを更新している人は200万人もいないだろう。200万人しかいないと言いつつも、200万人とはすさまじい数である。一人の人が平均500文字を書いたとしても、合計すると10億文字となる。本にして1万冊分はあるだろう。
デジタルデータである限り、大げさに言えば未来永劫それは参照され続ける。Googleを代表とする様々な検索エンジンが、あなたが書いた文章を探し出してくれる。それを興味を持ちそうな人へと届けてくれる。
僕が思っていることを、わざわざ発信するまでも・・・。私が思ってること書いてもバカにされるだけではずかしい・・・。
そう思う必要はない。どんどんアウトプットしていってはどうだろうか。ホームランはいらない。ヒットでなくても良い。ピッチャーゴロでもいいじゃないか。シュートがゴールポストの脇を逸れて外れてもいいではないか。ボールを蹴らなければ何も始まらない。
 
例えば、ウィキペディアである。これはウェブ上で公開されている知的公共資産とでもいえる代物だ。私はウィキペディアに書き込みをしたことがある。20078月に、大阪の長居陸上競技場で開催された世界陸上選手権、男子110メートルハードル決勝の「終了5秒後」に、中国の劉翔選手が12.95秒の高タイムで優勝したその情報を書き加えてみた。それは、日本のウィキペディア上、その情報に関する最初の書き込みであった。
その数十秒後、ブラウザの更新ボタンを押してみると、2位と3位の記録が他の誰かの手によって書き加えられていた。ここで私が成し遂げたことは、世界で始めて、ある出来事について、言葉という形でウェブ上に保存したということである。
ウェブ上に蓄積された情報は、大げさに表現すれば全世界の人が参照可能である。文字数にして10文字程度の情報ではあるが、紛れもなく私の行為は、それに関しては世界最速だった。私はある種高揚感のようなものを感じた。今後、ウェブ上の記録は消えることなく何百年と蓄積・参照されることだろう。私はその中の極小さい部分ではあるが、足跡を残すことができたのである。
ウェブが可能にしたことは、全世界の人々から参照される可能性のある「ささいな情報」を、手軽にすばやく作り出せる環境を提供したことである。私のアイデンティティは残らないかもしれない。しかし、私が起こした行為は、デジタル情報として廃れることなく永遠にウェブ上に保存される。そして、全世界の人々から参照され続ける可能性を秘める。
「小さな偉業を積み重ねることができる」それがウェブの大きな特性のひとつである。

昔の格言の「塵も積もれば山となる」とはこの21世紀のためにあるような言葉だ。デジタルだからこそ、塵がほんとに積もるのだ。ひとつの山となるのだ。
アナログのとき、確かに塵も積もった。でも世界のあちらこちらに小山ができる程度だ。今は大きな山が世界で1つだけ存在するのである。ウェブという巨大な山が。そこにどんどんどん塵を積もらせよう。狙って当たるなんてことはそうそうあるものじゃない。私は幸運の偶然、セレンディピティを待ちたい。

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