2012年8月7日火曜日

2.4 三段のハシゴ



 人の思考というものはおおよそ3段のハシゴによって表現可能である。一段目は情報の選択、二段目は情報の分析、そして三段目は結論であり考察である。その結論に応じて、人は行動を起こす。ここで重要なのは、たとえ同じ結論を持っていたとしても人によって起こす行動は異なることを理解することである。
加えて結論に応じて最終的に起こす行動だけが人によって異なるというだけではない。一段目の情報の選択というハシゴを昇る際には、今現在活用可能なあらゆるデータの中から、情報を選択するという行動を起こす。この行為はそれぞれの人が持つ仮説や価値観、そして事情によって異なってくる。  
二段目の情報の分析についても同じことが言える。例え同じ情報を選択したとしても、二人の人間がいれば二人の仮説や価値観がある。ということは導き出される情報の分析についても、異なる結果が得られる。最後の三段目については敢えて説明するまでもないだろう。
 人の思考ほど複雑なものはない。かつてアイザック・ニュートンはこんなことを言った。「人の気持ちはとても計算できない」と。情報を選択するところ、情報を分析するところ、分析から結論を出すところ、結論から起こす行動、そもそも活用可能なデータさえ人と人は異なるのである。話が通じない。話が合わない。そういうことをよく耳にする。そうそう簡単に通じるわけはないのである。




 子供が社会に出るとき、まず初めに知ることは人はそれぞれ違うということだ。今まで家庭の中で育てられた子供が初めて保育園や幼稚園や小学校に入った場合、初めに遭遇するのが子供同士の喧嘩である。お菓子の取り合い。遊び道具の取り合い。奪い合い。ひたすらにサバイバルが始まる。泣き喚く結果になることも多いだろう。先生が子供たちをなだめすかす。なぜそうしたのか。それぞれの子供たちの気持ちを代弁する。そうして泣き止む子供たちは、お互いを理解しあうのではない。お互いが違うのだということを認識するのである。子供も子供ながらにこの三段のハシゴを昇っているのである。
目の前に、ブランコとジャングルジムという二つの活用可能な情報がある。ブランコを選択する。ブランコに乗って遊ぼうか。ブランコを手で揺らして遊ぼうか。選択した情報を分析する。手で揺らして遊んだほうが面白そうだ。そういう結論を出す。そして行動に出る。ブランコを揺らすために、鎖に手をかけるわけだ。隣にもう一人の子供がいる。その子供はブランコに乗って遊ぶ結論を出す。そして、ブランコを揺らそうとして手をかけていたブランコに座る。ブランコを手で振って揺らすことができない。ブランコを乗って揺らすことができない。そこで当然ながら衝突が起きる。自分がやりたいことをなぜ先にやらせないのか。自分が面白いと判断したことをなぜやらせないのか。
当然子供はこれほど複雑に物事を捉えているわけではない。如何に他人は自分と違うのか。子供は日々、様々な行動からそれを学んでいく。違う行動を起こす人間に出くわすたびに、子供は考える。なぜ自分が思ったことと違うことをするのだろうか。そのとき初めて子供は、他人の気持ちを推し量ることを学ぶ。思いやるという気持ちに気付く。そうして子供は社会に順応していくのである。

誰もがこうして育ってきたはずなのに、冒頭の言葉をよく耳にするわけである。「話が通じない。話が合わない」。お互いの理解を深めるためには、ハシゴを降りる作業をしてみることが近道だ。そうすることで、お互いの違いを認識できる。違いが認識できれば、違う行動を取るということを素直に受け止めることができる。
違う行動を取る相手とは、どういう結論や考察を持っているのかということの意見をぶつかり合わせれば良い。違う結論に至っている場合は、どういう分析を行ったのかということを確認すればよい。分析のやり方が違う場合には、どういう情報を選択したのかということを示し合わせば良い。選択した情報すら違う場合には、お互いが活用可能だと思っている情報を並び比べれば良い。ここで重要なのは、どう同じなのかと確認するのではない。お互いがどう違うのかということを理解することが重要だ。
違う点があるならば、違う結果を導き出す。人としてこれほど自然に受け入れることができることはない。同じであるにもかかわらず、違う結果を導き出す。そういうことを考え出した場合には、解けない複雑な問題に挑戦することになる。先のニュートンの言葉だ。この三段のハシゴを降りる一連の作業によって、理解するべきはお互いがいかに違うのかということだ。違いを理解することこそが、お互いを理解する第一歩となる。
ミーティングの現場で意見がすりあわないときに、ホワイトボードでもノートでも良い。この三段のハシゴをかいてみると良い。それぞれがどういう情報を活用可能だと思っているのか。それぞれがそこからどういう情報を選択したのか。それぞれが選択した情報をどのように分析したのか。それぞれが分析からどういう結論を導き出したのか。それゆえに、それぞれがどのように行動を起こしているのか。
これをお互いが書き出すことで、違いをつまびらかにするのだ。そうするとおそらく気付くだろう。これまでほとんど同じ分析をして、同じ結論を持っていたと考えていた相手のことをまったく理解していなかったということを。
人の気持ちは計算できない。たとえ今日三段のハシゴを通して、お互いの違いを理解できたとしても、明日も理解できるとは限らない。明日は明日の風が吹く。明日は明日のハシゴがいる。お互いの結論同士を議論し合う前に、ハシゴを一段降りてみることが近道となるだろう。


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