2012年8月11日土曜日

4.2 ジャック・ウェルチ流のBuilding Common Ground


  
世界で最も成功し、かつ有名なCEOの一人としてゼネラル・エレクトリック社(GE)の元CEOのジャック・ウェルチがいる。GEはアメリカコネチカット州フェアフィールドに本社を置くグローバルカンパニーである。2007年度時点で全世界の従業員数が約33万人、売上高が1727億ドル(約17兆円)、純利益率が13%、株式時価総額は2009年に入り1200億ドル(約12兆円)近辺を維持している(ちなみに金融恐慌の前は40兆円を越えていた)。GEは世界で最も成功している会社の一つといえる。そのGEにおいて、1981年から2001年の長きにわたり、CEOを勤めたのが、ジャック・ウェルチである。
GEという会社は何をする会社なのか。GEという会社はどこに向かおうとしているのか。GEという会社が求める人材とはどのようなものなのか。GEという会社が求める経営とはどのようなものなのか。会社に働いている社会人であれば、極めて根源的な問いだと思うだろう。しかし、この根源的な問いに対して30万人を超える人間が共通認識を持つことは極めて困難なことである。
ジャック・ウェルチはこう公言している。会社の資産は人であると。そして、人材を育成することほど、複雑で時間のかかるものはない。先の根源的な問いかけの共通認識を持つためにジャック・ウェルチが取っている行動は極めて原始的である。それは、人と会って話しをすることだ。
しかし、それが半端な量ではない。ジャック・ウェルチは、年間延べ3000人の社員と研修という形で会う。その研修は数時間にもわたって、数十人の幹部候補生とジャック・ウェルチの対話形式で行われる。GEの人事階層構造は図のようになっている。
この研修はExecutive band Senior professionalを対象としたものである。合計すると約3万名だ。ジャック・ウェルチがこれだけ精力的に毎年3000名に向けて研修を行ったとしても、この役職者全員と1回研修の場で会うためには10年という年月を要する。終わりのない旅のように感じる活動だ。それでも、ジャック・ウェルチは来る日も来る日も熱く語りかける。


ビジネスに正解はない。経営に定石はない。経営とは、不測の事態が起ころうと意思決定を下すことである。経営とは、不十分な情報しか手元にない場合でも意思決定を下すことである。Multi causality という言葉がある。訳すならば複数因果関係とでもなるだろうか。ビジネスは複雑な要素が絡み合う。様々な出来事がインプットとして発生する。それをその時と場合において、判断して経営の舵取りをしていく必要がある。同じシチュエーションは二度と起こらない。二度は発生しない様々な状況に対して、最善の判断を下せるような人材をより多く育成する必要がある。
そのための最善の道としてジャック・ウェルチが選んだのが、この1年の間に3000人と熱く語りかける手段である。ジャック・ウェルチがこれまでに体験したことを披露する。それぞれで下した判断を伝える。その背景で何を考え、何を悩み、何を実行し、何を実行しなかったのか。今ならばどうするのか。研修の参加者へ向かって、あなたならどうするか。何時間にもわたって、ただただ熱く語りかける。
そうすることを通して、不測の事態に直面しようとも、各人が判断可能な最善の道を歩もうとする人材を輩出しようとする。これは、30万人を超える巨大企業を存続たらしめる最高の方法なのではないだろうか。
このような振る舞いを絶妙に言い表す言葉が英語にはある。”Walk the talk”というものだ。語りまわろうとでも訳すことができる。経営において迷うとき、事業運営で不明点ができたとき、意思の疎通が不十分だと感じられたとき。まず真っ先に行うことは”Walk the talk”である。
これほど実行することが明快であるにもかかわらず、効果が高いものは他にないのではないか。

ある組織が活性化していないとする。それを打開して欲しいと依頼されることは、野球に例えるならば、打率を3割打てと命令されるようなものだ。打率ほど不確定なものはない。今日ヒットを打とうとも、明日凡打を打てば打率はさがる。
それに対して、組織活性化のために、すべての社員に熱く語りかけてくれ。そう依頼されたとすれば、どうだろうか。これは毎日千回素振りをしろという命令と同じだ。誰もが実行できる。誰もが明日からできる。いや誰もが今日からできる。人は語りつくすことで、分かり合えるときがある。語りつくさなければ、分かり合えないときがある。
当然のことではあるが、毎年入ってくる新入社員と私の年齢差は開くばかりである。5歳程度の開きであれば、黙って座っていても向こうからいろいろと質問をしに来たものである。それがさすがに10歳程度の開きがあると、向こうからは近寄りがたいようだ。最近ではほとんど突如話しかけられることがなくなった。それほど近寄りがたい人間ではないと思ってはいるのだが。
私は心の中では、質問はいつでもウェルカムだと思って座っている。どんな些細な質問でも快く答える気持ちはある。そうはいっても、さすがに10歳も年齢が離れていれば、なかなかに話しかけにくいものである。私が新入社員のころを思い浮かべると、確かに10歳も年齢が上の先輩に対してはそうそう容易には話しかけづらかった。自分が二の足を踏んでいたことを、今の新入社員に求めるのは酷な話だろう。
いつでも質問を受け付ける用意があるのならば、自らそれを聞きに行けば良い。相手にとっては難しくても、自分にとっては至極簡単なことなのだ。まさに”Walk the talk”である。待っているということは、すなわち話を聞いてあげても良いという横柄な姿勢の表れなのかもしれない。自ら率先して、質問をして歩けばよいのだ。たとえ億劫がられたとしても。

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