2012年8月9日木曜日

3.4 資料がなくとも人に伝わる




1988年全米公開のワーキングガールという映画がある。監督はマイク・ニコルズで、主演はハリソン・フォード、メラニー・グリフィス、そしてシガニー・ウィーバーだ。ニューヨークのウォール街にある投資銀行のM&A部門で働く秘書テス(メラニー)のサクセスラブストーリーを描いた映画だ。この映画でシガニー・ウィーバーはゴールデングローブ助演女優賞を受賞している(以下もしこの映画をご覧になっていない方は読まれないほうが良いかもしれない)。
テスには学歴がなかった。加えて女性ということもあり、この当時はアメリカでさえやはり女性に出世の道は厳しかった。それでもテスはコミュニケーションクラスや投資のクラスなどを精力的に受講していた。自分には能力がある。そう信じて日々の業務に励んでいた。そこへ上司として、キャサリン(シガニー・ウィーバー)が赴任してくる。同性が上司になることはテスにとっては初めての経験だった(ただし、キャサリンはハーバード大学卒業という設定のようだ)。同性のキャサリンならば、自分の意見を聞き入れてくれる。そう考えたテスは自らが考えた買収のアイデアをキャサリンに相談する。トラスク産業という会社にメテロという地方のラジオ局を買収させるアイデアだった。キャサリンはなかなか面白いアイデアだと合いの手を入れるが、その後すぐに骨折で入院してしまうこととなる。
キャサリンが骨折で入院している間に、服を届けることを頼まれたテスは彼女の自宅に寄った。そこで意外なものを発見する。キャサリンが自分が考えた買収アイデアを自分のものとして進めようとしていたメモだ。そこでテスは決意する。キャサリンが入院中に自らの手でこの案件を進めてみようと。投資部門の一介の秘書でしかない自分が。パートナーとして、キャサリンがこの案件を相談しようとしていた他の会社のジャック(ハリソン・フォード)を選んだ。当然ジャックには身分を偽って近づいた。自分は投資部門の責任者であると。ジャックの協力もあり買収の案件は難なくまとまった。トラスク産業とメテロのCEOが同席し契約内容の詳細を詰める最後のミーティングが開かれていた。ジャックとテスは誇りに満ちた目でお互いを見つめあう。この案件を進める過程で二人は恋に落ちていたのだ。そのミーティングが佳境に指しかかろうとしたそのとき、部屋の奥にある重厚な扉が開き松葉杖を突いたキャサリンが現れる。キャサリンは叫ぶ。その女(テス)は嘘をついている。私の秘書に過ぎない。私の買収のアイデアを盗んでいまここにいると。身分を偽っていたことは事実だ。その場にいる二人のCEOもジャックもテスを疑いの目で見る。テスは涙をこらえながら、その場を退席する。
テスは解雇通告を受ける。そして自席の荷物をまとめてオフィスのエレベーターから降りてきたところで、ジャック、キャサリン、そして二人のCEOと偶然出くわす。ジャックを除いた3人はエレベーターでオフィスに上がっていこうとする。ジャックはテスのことを信じていたのだ。トラスク産業のCEOに向かってテスは声をかける。この買収には落とし穴があるわよと。エレベーターが閉まりかけるその刹那、トラスク産業のCEOはするりとエレベーターから降りてくる。いったいどういうことだ。落とし穴とは、ラジオの看板キャスターのゴシップ記事だった。看板キャスターが番組を辞める可能性があることを示唆したものだった。ジャックはCEO3人で別のエレベーターで上がりましょうと持ちかける。
さてここで想像して欲しい。あなたは一介の秘書である。そして秘書という身分を偽って、買収の案件を進めていた人間である。身分を詐称していたという事実がある。相手は巨大企業のCEOである。エレベーターがオフィスに上がっていくまでの時間はわずかに30秒足らずだ。そこで、この買収のアイデアは自分のものだと証明する必要がある。あなたならどうするだろうか。なぜこの買収が有効か、分厚い報告資料を持ち出すだろうか。そんなことをすれば、何も伝えることができないままエレベーターは目的の階に到着してしまう。
テスはこう切り出した。
「ある日、経済誌のフォーブスを見ていたら、あなた(CEO)が放送産業(テレビ)へ進出することに意欲的だという記事を読んだの。同じ日に新聞のポスト誌を読んでいたら、メテロラジオのトークショーで司会をするボビー・スタインという人が上流の奥様方向けに慈善バザーを開くという記事があったの。そして、同じ誌の社会面を見ると、あなた(CEO)の娘さん、きれいな方ね、が慈善バザー活動に一躍担いたいたいとおっしゃっていたの。そこで私は思いついたの、トラスクとラジオ。トラスクとメテロ」
テスは関連する雑誌記事の切り抜きをペラペラと見せながら、こう説明してのけた。テスは明らかに緊張していた。説明はそれほど流暢ということはなかった。しかし、CEOにはなぜこの買収の発想を思いついたのか。その思考の過程をまさに体験することができた。テスが説明し終わった瞬間にエレベーターの扉が開く。



エレベーターホールでCEOは再びキャサリンと合流する。キャサリンにひとつ聞きたいことがあると問いかける。どうやってトラスクとメテロの買収を思いついたのかと。キャサリンは口ごもる。デスクに戻って書類を調べてみないと、そうたどたどしく答える。CEOは続けざまに語りかける。私はテレビ業界への進出を狙っていたのだ。それがなぜラジオが良いと考えたのだね。しかも、メテロは南部のローカルラジオ局だ。どうしてこの組み合わせの発想を思いついたのかね。キャサリンは答えることができない。そこでCEOは確信する。このアイデアはテスのものだと。
 映画ではあるが、人を動かした瞬間である。すばらしいロジックもない。すばらしい資料もない。けっしてすばらしいプレゼンテーションでもない。なぜトラスク産業とメテロの買収を思いついたのか(C)という戦略が、このときCEOの中で最も不思議な出来事だったのだ。なぜこうしたすばらしい案件を考え出したのか。エレベーターでテスはまず伝えるべきことがCであると、複雑な出来事の中から抜き出した。そしてそのCが出たわけは、フォーブスという雑誌を読んだこと(A)と、同じ日にポスト誌を読んだこと(B)というとてもシンプルなきっかけだったのだ。
CEOの中で稲妻のようにABCという図式が成立した。CEOの頭の中で、化学反応を起こさせたのだ。人に伝えるとき、人を動かすとき、物事をシンプルな構造に帰着させる必要がある。そうした、ABという二つの材料を与えれば、敢えて説明するまでもなくCという結果を勝手に想像してくれる。
 私は職業柄、様々な会社の社長と会う機会がある。新規事業の立ち上げや会社の構造改革を支援しているときに様々な障害に出くわす。その打開のために、エレベーターホールで社長を待ち構えて、アポイントなしで会う。そしてエレベーターが社長室がある階につくまでに、障害を打開するためのアクションを社長から引き出す。いつかテスのようなことをしてみたいといつも考えている。しかしながら、今の私にはまだそうしたスキルも機会もないようだ。

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