2012年8月13日月曜日

5.5 五月雨式に関連付ける



「なぜ、人は原子に比べこれほど大きくなければならないのか」
 科学的な質問で、これほど面白い質問を聞いたのは久しぶりだ。この問いかけは、「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著)で紹介されている。
原子がとてつもなく小さいことは皆さんご存知だと思う。人間は何個の原子から出来ているのか。中学生の頃、こういう疑問を持ったことはあった。しかし、その逆説的な見方、なぜ人は原子に比べてこれほど大きくなければならないのかという疑問は全脳細胞がざわめき立つような問いかけだ。ちなみに、人間はおおよそ10の28乗個の原子、60兆個の細胞から成り立っているらしい。
 冒頭の問いに対する答えは福岡さんの書籍に譲るとして、物事五月雨式に関連付けて考えていくことが重要だ。原子を新たに知ったのであれば、その大きさはどのくらいか。原子とは世の中に何種類あるのか。どの原子が地球上では最も多いのか。人間は何個の原子から成り立っているのか。そして、なぜ人は原子に比べてこれほど大きいのだろうかと。新しく学んだことができたのならば、それを様々な角度から眺めてみることだ。右から眺めれば、左から。次は上からつぶさに観察する。その次は下からだ。続いて中から見るのもいいだろう。遠いところから目を細めてみて見るのも面白い。

 2009年4月楽天が保有しているTBS株をすべて売却することが発表された。放送と通信の融合を図ろうとする道の一つが絶たれた格好だ。こういうニュースが飛び込んできたとき、どういうことを想像するだろうか。私は頭の中で、このニュースを上下左右様々な角度から眺める。そうして、次のようなことを五月雨式に考えていく。
l  放送と言えば、テレビだ。日本でテレビはいったい何台存在するのだろうか。だいたい今コンセントに繋がっているテレビで1億2000万台程度だといわれている。
l  テレビと言えば、プラズマテレビと液晶テレビが人気だ。今50インチのそうしたテレビはいくらだろうか。安いもので15万円のものもあるそうだ。高いものだと40万円近い。
l  通信といえば、パソコンだ。ではパソコンを使っている人は何人いるのだろう。ブロードバンドに加入している世帯は2500万世帯くらいだ。1世帯で3人とすると、7500万人くらいだろうか。
l  携帯電話でも、データ通信は可能だ。そういえば、携帯電話でもテレビ(ワンセグ)が見れる。ワンセグはどのくらいの人が見てるのだろう。調査結果によってまちまちだが、だいたい5割から6割の人が利用したことがあるそうだ。
l  こうした放送と通信が融合するとは何であろうか。テレビを見ながら、思いついたときに手元の携帯電話から、思いついた商品を検索して、ネット通販で注文する。そういうことだろうか。2008年には、携帯電話上の通販での買い物した総額が1兆円くらいになったと推計されている。
l  そういえば、最近のテレビにはネットにも繋がるそうだ。パナソニックやソニーが参画しているacTVilaというサービスがあるそうだ。それに繋げれば、テレビ画面でYouTubeが見れるそうだ。映画もダウンロードして見れるそうだ。どのテレビでも見れるのか。どうやら最新機種の上位機種でないとみれないようで、全体の1割程度らしい。
l  では、1億2000万台のテレビすべてにそういう機能が搭載される日はいつごろになるだろうか。テレビは何年に1回買い換えるだろう。短い人で5年。長い人で10年くらいか。仮に7年とするならば、毎年2000万台のテレビが売れることになる。実際のテレビ販売台数は、1100万台だ。どうやらリビングルームなど家庭にとって主役のテレビを主に買い換えているのかもしれない。
l  これから売れるすべてのテレビにその機能が搭載されたとしても、7年かかる。寝室においているテレビは中々買い換えられない。田舎の高齢の方しか住んでいない世帯はさらに買い換えないだろう。そうなると、10年後でも難しい。早くても15年後にようやくすべてのテレビがこうした機能を使えるようになるのだろう。
l  そういえば、この間の国会答弁で、2011年に終了予定の地上波デジタル放送の対策が取りざたされていた。まだ50%のテレビが地上波デジタル放送に未対応らしい。
l  ところで、最近NHKはビデオオンデマンドというサービスを始めたようだ。それでは月額1470円(税込み)で、NHKスペシャルなどの番組が見放題だ。
l  NHKスペシャルは私も好きな番組の一つだ。そんなテレビ番組がパソコンで見れるようになるとは、これも放送と通信の融合という気がする。
l  そういうサービスはどれくらいの人が申し込むのだろう。私はまだ申し込んでいない。使いたいとは思うが。どうやら3ヶ月で5万人程度が申し込んだようだ。
l  5万人の利用者というのは、多いのだろうか。少ないのだろうか。NHKスペシャルということで仮に限定するとどうだろう。ビジネスマンがターゲットか。だいたい30代から60代くらい。だいたい人口で6000万人。男性だけだと3000万人となる。5万人とは0.2%に満たない。まだ多いとは言えない段階だろうか。
l  ・・・

 こういったことをニュースを聞いて2、3分で五月雨式に思い浮かべていく。お気づきだろうか。すべての思考において、かならず数字が出てきていることに。
 あらゆる考えには、数字を持たせることが重要だ。数字(特にアラビア数字)は、全世界共通の言語だ。数字には説得力がある。数字には魔力がある。発言の端々に数字が少し入り込むだけで、発言の重みはまったく変わってくる。
 今例に挙げたように、五月雨式に関連する物事を考えていく。そこへ常に数字を入れ込んでいく。わからないことがあっても良い。その場で、ウェブに接続して検索して調べれば良い。大概のことは発見できる。
 物事を厳密に考えることは重要である。日本でコンセントに繋がっているテレビが1億2000万台ではないかもしれない。厳密に調査しなければその答えはわからない。ただ重要なのは、あらゆる物事を厳密に捉えるよりも、どんどんと五月雨式に思考を拡散させていくことだと思う。
 コンセントに差し込まれたテレビの台数を知っている人はこの世に存在しない。日本の世帯数が5000万世帯を超えることは事実である。日本にはホテルがおおよそ1万あるのも事実である。病院も1万ほどある。そういうところにはかならずテレビがある。ということは、コンセントに差し込まれたテレビの数は1200万台であるわけはない。もっと多いことは感覚でわかる。12億台はない。1人あたり10台となってしまうからだ。物事で重要なのはオーダー(規模感)をまずつかむことである。より厳密な答えが必要になれば、そのときに厳密に調べればよいのだ。それよりもまず、五月雨式に思考を拡散させる方が、はるかに面白い発想が思い浮かぶのではないだろうか。

 ここで1つ面白い質問がある。

 日本には、いったい何本の電信柱があるだろうか?

 以下、私なりの考え方だが、まずは皆さん各自で考えてもらいたい。私は事実は知らない。まだ調べていないので。
 まず日本の面積は37万平方キロメートルである。これは私は記憶している。電信柱がありそうなところはどこだろうか。やはり市街地だろう。人の住むところだろう。人が住むから電気が必要なわけであるから。とすると、日本の国土の3分の1程度が人が住んでいるところと大まかにとらえてみる。残りの3分の2は山間部だ。よって、電信柱がある国土は12万平方キロメートルとなる。
 電信柱はどのくらいの間隔で立っているだろうか。都会だと10メートルに1本の割合で、田舎だと100メートルに1本の割合だろうか。これはあくまで私の直感だ。
 まず暗算でも出来るように計算を簡単にする。100メートル四方におおよそ2本から4本の電信柱があるとしよう。これは密度が高い都会と、密度が薄い田舎の平均としておいたものだ。
 そうすると、12万平方キロメートルを1万平方メートルで割ると答えがでる。日本には電信柱が凡そ2500万本から5000万本立っている。
 多くの人からご指摘、ご批判は出るだろう。これはあくまでオーダーを求めるためのアプローチだ。正確なデータを知りたければ、国会図書館に行けば見つかるかもしれない。電車賃を払って図書館に行く。様々な文献を調べあげる。トータルで2時間を要した。その結果が、仮に3424万本と判明した。その2時間を費やしてでも、やるべきときはやるべきだろう。それよりもまずは2500万本から5000万本というオーダーを把握して、そこから五月雨式に様々なことに思いをめぐらせる方がはるかに面白い。
 日本全国の電信柱に広告のビラを貼り付けようと思ったら、1000人の営業マンがいたとしても、一人あたり5万本も担当しないといけないのか。ということは、こういうビジネスは全国津々浦々に、小規模の事業者が存在するのだろう。
 日本から電信柱をなくして、きれいな景観にしたい。そういう公共事業は可能だろうか。5000万本もあるなら、そうとうな資金がいるな。1本の電信柱を埋めるためには、まったく検討がつかないが100万円はかるくしそうだ。となると、すべての電信柱を埋めるために必要な資金は50兆円にもなる。これは未来永劫不可能なようだ。
 電信柱はなぜ灰色で、あまりデザイン性が高くないのだろうか。すべての電信柱に、二酸化酸素を吸収するような特殊素材を塗ってはどうだろうか。そのついでに、色合いももう少しカラフルに。街が美しく見えるようなものにする。これは面白い公共事業になるのではないか。
 いったん大まかに5000万本という規模を把握することができれば、そこから五月雨式に様々なことが思い浮かんでくる。思いがけないニュースが飛び込んでくるたびに、五月雨式に、定量的に発想していく。そうして蓄積される知識は大きな財産になるのではないか。

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