2012年8月11日土曜日

4. たかが共通認識、されど共通認識


3章までは、人と相対するときに根源的に必要となるコミュニケーションについてページを割いてきた。ここからは、コミュニケーションを円滑にするために、コミュニケーションをとる効果を最大化するために、最も必要だが、忘れられがちなことについて述べてみたいと思う。

4.1 アポロとコロンビアで起きた共通認識


Building common groundとは、直訳すれば「共通の土台を造ること」となる。つまりは、「共通理解をする、共通認識を構築する」ということを意味する。ビジネスの現場において、これほど重要でかつ、軽視されがちな言葉はない。
軽視というのは少し誤解を招くかもしれない。誰しも事業を始めるにあたり、会議を行うにあたり、その背景知識に対して「共通認識」をしておくことが必要であると考えている。それに異を唱える人はいない。それにもかかわらず、「共通認識」がないままに、あらゆる会議が進行していっている。あらゆる事業が進行していっている。あらゆる会社が動いていっているのである。
ここで二つの事例を紹介しよう。1970年のアポロ13号の事故と、2003年のスペースシャトルコロンビア号の事故である。前者のアポロ13号は、乗組員全員が無事に地球に帰還することができた。それに対して、コロンビア号は残念ながら大気圏への再突入の際に、空中分解という未曾有の事故に見舞われ、乗組員全員が帰らぬ人となった。この両者の結末を決定的に違えたのは、ひとえに「共通認識が構築されたかどうか」で説明することが可能である。
アポロ13号のこの一連の事故については、ロン・ハワード監督、トム・ハンクス主演で映画化もされている。そのため事故の内容に明るい人も多いだろう。アポロ13号は月面の「嵐の海」フラ・マウロ高原という場所に着陸を予定していた。そしてその場所周辺の調査をすることが任務であった。1969年のアポロ11号の船長ニール・アームストロングが人類初の月面着陸から数えて2回目の打ち上げであり、世間的には月に行くという偉業がもはや過去の出来事のように認識され始めた段階にあった。その背景では、ベトナム戦争が長期化し、泥沼化の様相を呈し始めていた。そうした政治的背景もあり、アポロを飛ばすよりも喫緊に取り組むべき政治的な問題があるのではないかという意見が世の中に広がっていた。
そうした中で起きたこの不幸な事故は、再び世界の注目をアポロに向けさせることとなった。その意味では不幸中の幸いであったといえる。
事故の概要はこうである。ケネディー宇宙センター第39複合発射施設から打ち上げられた2日後に、船内の電線が短絡した。それによって発生した火花が原因で、機械船の酸素タンクが爆発した。
宇宙船のアポロは、3つの部分から構成される。司令船と機械船と月着陸船である。司令船は宇宙飛行士が滞在するモジュールで、地球に帰還させるために必要なすべての制御装置が搭載されている。機械船は主に推進用ロケットエンジンを搭載しているモジュールである。エンジンの燃料や宇宙滞在中に必要な酸素、水、バッテリーなどの消耗品なども機械船に搭載されている。最終的に地球に帰還するのは司令船のみで、機械船は大気圏再突入時の大気圏内で破壊されることになる。しかしながら、大気圏に再突入するまでは、酸素、水、そしてバッテリーという宇宙船を制御するまさにライフラインを司る設備が搭載されているモジュールとなる。このアポロ13号の事故では、その機械船の酸素タンク部分が爆発したのである。
この事故が発生してまもなくアポロ13号の司令船操縦士であるジャック・スワイガートからの最初の連絡は、「Houston, we've had a problem here(ヒューストン、問題が発生した)」であった。このたった一言が、乗組員、管制塔のクルーすべての心を一つにした。
アポロ13号は、紛れもなく危機的状況に陥っており、この危機を打開しなければ乗組員3名は全員死んでしまう可能性が高い。一瞬にして構築されたこと、それが「共通認識」である。その危機を誰も疑うことなく、それを解決することを最重要課題と即座に決定し、全クルーが全力をあげてその打開に取り組んだ。
そこでは、空気漏れの事故の状況把握が徹底してなされた。何が起きたのか。どれほどの危険があるのか。空気漏れが続くとすれば、船内の空気がすべてなくなるまでの猶予時間はどれほどあるのか。空気漏れをとめるすべはないのか。各分野のエキスパートを緊急招集し、考えられる限りの解決策を検討した。問題を細分化していき即座に解決することができるものはないのか。空気漏れの猶予時間を引き延ばす方策はないのか。地上の管制塔でも、船内にある道具と同じものを会議室に広げた。それらの道具を活用することで、新たに有用な器具を開発することはできないのか。しかも、宇宙飛行士たちの手作りによって。
すべてのクルーが一丸となってこれらに取り組むことができたのは、「問題が発生し、それを即座に解決しなければ乗組員の安全は確保されない」という明白な共通認識があったからである。これだけを表面的に捉えた場合、至極当然のことなのではないか。そう思ってしまう人も多いだろう。しかしながら、同じ事故であるにもかかわらず、次に説明するコロンビア号の場合は、このたかが「共通認識」というものを共有することすらできなかったのである。
コロンビア号の事故の概要は次の通りである。コロンビア号は1981年4月12日に初めて打ち上げと帰還に成功したスペースシャトルである。それ以来、ディスカバリーやチャレンジャーなどが製造され、スペースシャトルは毎年のように打ち上げに成功していた。
1980年のレーガン大統領の発言が印象的である。「宇宙への進出はかつて我々の夢であった。そして今、スペースシャトルによって、我々は宇宙を日常のものにしようとしている」
この言葉にある通り、もはやスペースシャトルの打ち上げは特別なニュースではなくなりつつあった。初めてスペースシャトルが打ち上げられてから23年後の2003年2月1日に、ここで取り上げるコロンビア号の事故は起きた。
事故は打ち上げ後まもなく起こる。スペースシャトルは第一段ロケットに充填されている-183℃の液体酸素の影響で、外壁部分に水蒸気が凍った分厚い氷が表面で覆われる。スペースシャトルは打ち上げの際、そうした分厚い氷をはがしながら徐々に高度を上げていく。コロンビア号も例外ではなかった。
その打ち上げのときに一つの大きな氷の塊が、耐熱隔壁つまりスペースシャトルの底面に直撃した。底面の耐熱隔壁は宇宙空間から大気圏に再突入する際に、スペースシャトルを空気との摩擦熱から守る命綱だ。氷の塊が耐熱隔壁に衝突したことは、地上の管制塔で確認できていた。
スペースシャトルは無事宇宙空間に飛び立つことができた。しかし問題は再突入時である。氷の塊が耐熱隔壁に衝突したことは、スペースシャトルのクルーには告げられていなかった。宇宙遊泳を始めてから1日目に地上の管制塔スタッフの間でミーティングが持たれた。そのミーティングの目的は、現在のスペースシャトルプロジェクトの進捗状況と対応するべきリスクの確認だ。
氷の塊が耐熱隔壁に直撃したことはミーティングで取り上げられた。それでもそれへの対策は何もなされなかった。より詳細な分析をするようにと指示が飛んだだけだ。管制塔スタッフのリーダーはリンダ・ハムという女性で、NASAきっての超エリートだ。稀に見る出世スピードで、42才という若さでスペースシャトルプロジェクトのリーダーを任された人物だ。天才と言ってもいいだろう。しかし、氷の塊が隔壁に衝突したことは優先度の低い事柄として処理された。
これはなぜだろうか。氷の塊がスペースシャトルの底面の耐熱隔壁に衝突することは、これまでも度々起こっていたからだ。私たち日本人にとってこの数字は意外に聞こえる。
1994年のコロンビア号の打ち上げは、116回目の打ち上げであった。スペースシャトルは、コロンビア号の他に、チャレンジャー、ディスカバリー、アトランティス、そしてエンデバーの5機が製造されている。1機種あたりの打ち上げ回数は20回を越える計算となる。この116回の打ち上げの中で、氷の塊が底面の耐熱隔壁に衝突した回数は、驚いたことに7回を数える(Columbia Accident Investigation Board Report Volume 1 August 2003 p.128http://caib.nasa.gov/news/report/pdf/vol1/chapters/chapter6.pdf)。つまり、氷の塊が隔壁に衝突することは、スペースシャトルプロジェクトによって、いわば日常の出来事へと陳腐化していたのである。
 アポロ13号の場合、ジャック・スワイガート操縦士が明確に危機を宣言する。そして管制塔のスタッフも、誰一人疑うことなくその危機を、緊急で対応するべき危機と認識した。危機に対するゆるぎない認識、つまり共通認識の大きさが未曾有の危機から3人の宇宙飛行士を救ったことになる。
 コロンビア号の場合、起こった事故は過去に例があるものだった。それを宇宙飛行士の生命の危機と認識するスタッフもいれば、そうでないスタッフもいた。チーム全体で共通認識というものを持つことが非常に困難な状況となった。
このコロンビア号の場合、隔壁に衝突した氷の塊は過去最大級だと算出できた。推計値として、その重量はこれまで観測されたものの数倍から数十倍もの大きさをほこるものだった。それについてもレポーティングされた。レポートには明確に、宇宙飛行士の生命の危機が記載されていた。しかし、このときのNASAの司令塔における共通認識は次のようなものだった。「氷の塊は過去に何度も隔壁に衝突したことがある。そして、これまで一度とてそれが問題になることはなかった」。
 如何に共通認識することができるか。すべての問題への対処はそれで決まる。危機が起こったとき、最も慎重に検討して、時間を割くべきことはどう危機を乗り越えるかということではない。関係するすべての人の間で、揺ぎ無い共通認識を持つことなのである。共通認識さえ合わせることができれば、たいていの仕事はうまくいく。たかが共通認識、されど共通認識である。
 共通認識がされていないと感じられるプロジェクトに身を投じることもあるだろう。そのときは、勇気を出して叫んでみてはどうだろうか。そもそも論をぶちまけることになるかもしれない。プロジェクトの進行を遅らせることになるかもしれない。それでも、プロジェクトの結果に決定的に左右するような共通認識のずれがあるのであれば、誰かがそれを叫ばなければならない。
 それまで何ヶ月もかけて検討してきたことでもはや後戻りはできない。そういう声も上がるだろう。しかし、問われているのは成果だ。問うべきは結果である。そもそも論者になることは、時として非常に重要なのではないだろうか。本当に必要な共通認識を醸成させることができるのであれば。

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